『サッカーに監督はいらない』
プロになってから
特に外国人選手として
プレーするようになってからは
それは確信に近いです。
『監督を信じてもいいことない』
とも思っています。
と言っても
監督さんを批判しているのでは
ありません。
僕はどちらかというと
好きな監督や
素晴らしい監督と一緒に
仕事する機会に恵まれているラッキーな選手です。
出会った監督さん達のおかげで
今の僕があるし
いつも大事に扱われているし
勝ったり点を取ったら監督さんが
ハグしてくれて嬉しいし
いつも感謝しています。
でも
”サッカーに監督は必要ない”という
一見すると
現代サッカーに背を向けるようで
その監督さん達に嫌われて
試合に使われなくなって
損しそうな考え方ですが
実は
この考え方は
僕が見てきた多くのトッププロが
持っている大事な心構えです。
そして逆に
イマイチな選手が持っていない
考え方です。
そう。実は
この考え方を忘れていた頃の僕こそが
イマイチな選手だったのですが
この考え方を
落とし込んでからは
結果を出すだけでなく
逆に監督とも良い関係を築いて
信頼されるようになりました。
(たまにバトルけど。笑)
・・・
これを知らなかった時というのは
僕は自分で考えることをせず
監督に言われるがままに動くロボットでした。
『勝敗の責任は監督にある』と言ってくれる
監督さん達の言葉に甘えて
すべての責任を監督さん達に委ねていました。
もちろん
監督が言うサッカーが表現できると
試合にも出れるし
試合に勝つ確率も高まります。
でも後々気付いたのは
それでは全然実力がつかないし
監督に信頼されないということ。
というのも
僕はその当時
ここ一番の大事な試合では
必ず使ってもらえなかったのです。
それはそうです。
大事な試合。緊張する試合。
そういう中で起きるのは
想定外のことばかりです。
そもそもサッカーは
その瞬間ごとに
プレーの予測はできても
起こることを確実に
言い当てることはできません。
そこでチームに必要なのは
普段から
監督に言われることを
忠実にこなすだけの選手じゃなくて
チームを勝利に導く選手です。
そういう選手というのは
その場その場で自ら選択して
それを実践し
さらに結果を出していく
強い意志が必要になります。
場合によっては
監督の目指すサッカーを
あえてしないことも必要です。
そのためには
普段から毎日の練習から
プレーの成否や勝敗の責任を
監督に委ねていてはダメなのです。
そして
そもそもの話。
監督は僕の人生の責任は取ってくれません。
例えば僕がプレーして負けた試合。
最悪なプレーで、サポーターからブーイングを受けて
でも
”監督が責任を取ったから、それが帳消しになる”
・・・
なんてことは
まずあり得ません。
そのシーズンを負け越して
散々な結果だとしても
”監督が責任を取って来年、僕のためにいいチームを見つけてくれる”
・・・
なんてことはありえません。
さらに負けた試合で
監督の采配や戦術がおかしいと嘆いたり
どんなに監督のせいにしても
”負けたらプレーしていた選手のせい”だし
どんなに監督の要求する戦術や
プレーをしていても
”負けた次の試合はメンバーから外される”
これが真実です。
監督がとる責任というのは
チームを勝たせるために誰を使うかで
僕たちが
どんなに監督を慕っているかは
おそらくどうでもいいのです。
それはそうです。
監督もクビがかかっているし
勝ちたいからです。
そして
ファンを喜ばせたいからです。
逆を言えば
どんなに監督の目指すサッカーができなくても
”勝ったらプレーしていた選手のおかげ”です。
僕が出会ってきた監督のほとんどの方は
勝った試合では
例え内容がひどくても
勝った選手を褒めてきます。
終いには
”よく戦術を理解している”という
最高の評価をくれます。
全く哲学も理想もありません。
これが真実です。
だから僕は
”監督を信じても良いことない”と思うし
使ってくれる監督に感謝しつつも
最後は、
いや
最初から
”自分を信じることでしか道はひらけない”と
信じています。
そして
そう思っていると
監督とも分かり合えるし
より良いサッカーができる選手や
チームになるし
監督とも最高の仕事ができる。と
僕は実感しています。
なので
”サッカーに監督は必要ない”という考えは
選手一人一人の考える力を伸ばすし
選択を実行に移して
結果を出す潜在能力を引き出す方法だと
僕は思います。
それでは今日も
最後まで観てくれてありがとうございました。
p.s.
と言いながら
先週末バンコクで開かれた
サッカークリニックに参加して
監督してきました。笑
下地がやった選手の才能を伸ばす
驚きのコーチングについては次回。。。