臆病な自尊心で獣になった男の嘆きが深イイ〜『山月記』李徴の言葉〜

こんにちは。

今日は前回のブログのコメントで覚悟についての話を

いただいたので覚悟について書いてみたいと思います。

僕は以前

『本当の自分を出したい!』

『結果を出したい!』

『失敗にビビらず思いっきりチャレンジしたい!』

でもその度に

失敗しすること

自分のせいで負けることを恐れて

尻込みして、できない言い訳を探しながら

『今はまだそのときじゃない』と

行動しない自分を慰めていました。

そして

『なんて自分は弱いんだろう』

『なんで一歩が踏み出せないんだろう』

『結果が出ないのは心の弱い自分がいけないんだ』そう思っていました。

『心が弱い自分』を言い訳にして

覚悟することから逃げていました。

でも

心が弱いことと結果が出ないことは

何も関係なかったんです。

結果を出すための覚悟がないこと。

それが上手くいかない大きな原因の一つでした。

言ってしまえば

覚悟ができれば行動を起こすことができて

成功する確率が高まります。

『いやそんなのわかってるよ。でもその覚悟ができないから困っているんですよ』

と思うかもしれません。

でも覚悟とは何かということを考えてみると

そんなに難しいことではないのかもしれません。

僕は覚悟とは

『失敗したときのことを受け入れること』

 だと思います。

失敗したときに

・周りに何か言われる。バカにされる。

・「ほら~だから言っただろ!」と言われる

・ダサいと思われる

・これ以上失敗して苦しい思いをしたくない

・恥かしい

・路頭に迷うかもしれない

・家族に迷惑をかけて捨てられるかもしれない

・勘当されるかもしれない

・友達に嫌われて変人扱いされるんじゃないか

・・・

そういった失敗したときの不安や最悪の事態。

こういうものを受け入れること。

これが覚悟だと思います。

僕の仕事はサッカー選手です。

シュートを外せば野次られ

試合で負ければ人格を否定され

チーム内での居場所がなくなります。

シーズンで結果が出なければ

契約がなくなり次の歳は給料はゼロです。

華やかでちやほやされる世界ですが

引退平均年齢は25歳以下。

社会では若手の30歳でもベテラン扱いされます。

現役生活は10年できたらすごい方で

給料も1億円稼いだり

引退後の資産を築けたり、

引退後の仕事にあぶれることない人脈を築いて

その後も稼げる人なんてごくわずかです。

たとえ給料が高くても

個人事業主なのでかなりの割合を税金で持っていかれるし年金は自分で払うし

しかも年金は国民年金だけです。

体のメンテナンスは重要でお金はかかるし

見られるのが仕事なのでそれなりに小綺麗な格好をします。

いろいろやると、いや、やらなくても

世間が抱く選手がもらっている額のイメージよりも

手取りは少なく残る金額も意外と少なくなっていきます。

将来の安定や保障は何もありません。

・・・

「そんなの当たり前じゃん」と

言われるかもしれませんが

そういうことなんです!

そうです。当たり前なんです。

例えば

『持ち上げた鉛筆を放したら地面に落ちる』ように

『表に出て失敗したらバカにされ批判されケチョンケチョンにされる』

これは社会では当たり前のことなんです。

持ち上げた鉛筆を放して

「なんで地面に落ちるんだ!俺はこんなに頑張っているのに!おれはこんなにいいやつなのに!おれはこんなに才能があるのに!」といったところで

手放した鉛筆は地面に落ちます。

同じように失敗したら痛い目にあいます。

悔しいし悲しいことも起きるかもしれませんが

当たり前のことです。

そんな当たり前のことを受け入れた後に

『それでもやりたい!』という決意。

それが覚悟です。

失敗したらバカにされる。

人と違うことしたら変人扱いされる。

それで結果が出なければイタイやつ。

そんなことは当たり前です。

お金を稼げなければ

家族からプレッシャーを感じ

世間からは恥かしい人に分類され

友人は去っていくかもしれません。

でもそれも当たりまえです。

女の人からはダサいと言われ

子供にはからかわれて

同僚の華々しい活躍を横目に

悔しい思いで毎日生活しなくてはいけないかもしれません。

でもそんなのも当たりまえなんです。

誰の記憶にも残らずに

ろくでなしの人生を送っていくかもしれません。

それすらしょうがないんです。

大事なのはそれを知っていて受け入れて

それでもやりたいんだからしょうがない。

という覚悟を持てば

行動を起こせるのです。

もし失敗しても

『あのときやっぱり安全な道を通っておけばよかった』とか

『あいつのせいで上手くいかなかった』と人のせいにしたり後悔しなくてすみます。

いや後悔はするかもしれません

人のせいにして人生を嘆くかもしれません。

でも死に際に

『あのときああしとけばよかった。これやっておけばよかったた。』と思いながらこの世を去ることはないと思います。

死に際に嘆くことの方が嫌です。

何もできなかったとしても

自分を信じて生きた人生の方を

僕は選びたいと思います。

ここで”死に際の嘆きベストテン”に入る

『李徴の嘆き』を紹介します。

昔高校生のとき

国語の授業で読んだ

中島敦の『山月記』という物語なので

覚えている人もいるかもしれません 。

かつて秀才と歌われた李徴という男が

自分の臆病な自尊心と

羞恥心からチャレンジせずに

『詩によって後世に名を残す』という夢に逃げます。

夢を追っていた李徴は次第に生活が苦しくなり

結局家族を養うお金のために

やりたくない仕事に戻ります。

以前自分よりはるかに劣っていると思い

相手にもしていなかった人たちは

努力を重ねてはるかに高い地位で活躍していました。

その彼らの部下についた李徴のプライドは

ズタズタです。

その状況での悔しい思いや 

自分への情けなさが耐えられなくなります。

自分に才能がなかったらどうしようと心配で、 

努力して能力を向上させようともせず、

でも、自分には才能があると半分は信じていたために、

社会の中で生きることもできなかった李徴。

覚悟ができずに生きた李徴は

あるとき、ついに気が狂って

人間から獣の姿に変わって森に入ってしまいます。

・・・

ときが経って人食い虎になった李徴が

かつての旧友の袁傪と森で再会します。

そんな李徴が旧友の袁傪に言った言葉は高校生ながら衝撃でした。

「人生は何事をも為さぬには余りに長いが、

何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、

事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。」

=訳

「人生は何もしないでいるには長すぎるが、何かをするには短すぎる」などと忠告の言葉を口先だけでもてあそびながら、実際は、才能が足りないことが表れてしまうかもしれないとのひきょうなおそれと、努力をいやがる怠け心とがおれのすべてだったのだ。」

人生を失敗した李徴は哀れで

”なりたくない男”の代表かもしれません。

だけど彼の

臆病なプライドや羞恥心は

かなり僕と重なるところがあって言葉の一つ一つが深く刺さります。

そして

李徴は周りを気にして生きたことを後悔しつつ

最後まで自分の成功ばかりを考えて

家族のことをないがしろにしている自分を嘆きます。

人の目はもちろん気になります。

それが大事な人たちなら余計に気にしてしまいます。

そして

それは僕たちが覚悟できない原因です。

でも人の目を気にすることで

その人たちのためにと言って

行動できずに後悔したら

僕たちは結局できなかったことを

その人たちのせいにしてしまいます。

そして

それによってその人たちを苦しめてしまうかもしれません。

どうなっても

その結果を受け入れるという

覚悟すること。

何をするにしてもしないにしても

選択することは覚悟することだと思います。

 

それができれば人生最後の瞬間を嘆くことはないし

逆に『大事な人たちのために何かをできた自分』を

誇りに思うことができると思います。

いつやるか?

「いまでしょ」

ということで

今日も最後まで観てくれて

ありがとうございました。

Shimo

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

上部へスクロール