毒が薬になるとき

これまでの価値観
特に成功という概念が変わった。

というよりも

成功というものは
そもそもないかもしれない。

そう思う日々が続いています。
 


地球レベルで今
環境が浄化されているそうです。

pm2.5が問題だった
バンコクでも
今は平常値に戻っています。

一度落ち着いて
考え直す時。

それが今なのかもしれません。

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僕はいつも疑問だったことが
あります。

大人の人は
”子どものために働く”
と言っていました。

でも
子どもの時僕は

『なぜ両親は働かなきゃいけないんだろう。』

そう思っていました。

一緒に居たかったからです。

『自分のために働いているのなら。。。』そう思うと
僕はすごく申し訳なくなりました。

必然的に
お金は苦しいものという
認識になりました。

生き残るためには
苦労しないといけない。


そういう時代でもありました。

でも

今、コロナの影響で仕事が、
経済が回らなくなって

スペインでは
ベーシックインカムが
導入され


最低限
生きるためのお金が
必要なくなりつつあります。


コロナは大変ですが

そのおかげか
人類史史上初の
優しい社会になりつつあります。

普通に生きていけるようになった時

生きるための仕事が
影を潜めます。

死ぬほど働くのが
普通だったのが

今では
死ぬ可能性があるなら
家で過ごそう。

そうなっています。


そうなると
競争社会から
降りても平気になります。

誰かの勝ちに
意味がなくなった世界
だからです。

たとえ
自分が勝っても
1人成功しても

全員死んだら意味がありません。


みんなで生き残ることを
考えられる時代になって
ようやく

競争社会の価値観を
捨てても良くなったんだと
実感しています。

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僕はヴェルディという
Jリーグの下部組織で育ちました。

そこは
『横のやつはライバル』
『横のやつが成功したら自分のポジションはなくなる』
『グラウンドには金が転がっている』

という価値観で
育成が行われていました。

僕は常に違和感と疑問を抱えながら
過ごしていました。

不思議なもので
周りにいた天才少年達は

成長とともに
サッカーを辞めていきました。

苦しかったんだと思います。


多分僕と同じような
疑問を抱えていたんだと思います。


殺し合いのようなサッカーに
心が疲弊したんだと思います。


純粋な天才少年達のサッカーは
時代とは逆行していました。

つながりの中で
生きている彼らにとって

競争社会というのは
別次元の低レベルな思想でした。


つまらなく苦しい世界で生き残るには

損得と上手く立ち回る器用さが
必要です。


彼らはそういうのが苦手です。


生き残った僕も
そういうのが苦手でしたが
一線を超えずにこれました。

一線とは
損得でプレーをすることです。

それをしないでも
プロになれたのは幸運でした。

でも
数年ののちに気づいたのは
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トップ選手ほど
競争意識ではサッカーをやっていない
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ということ。

海外に出て
トッププレーヤーと会うたびに
彼らが周りの人との繋がりを
大事にしていることを
実感できました。


彼らは競争ではなく
お互いの力を引き出し
自分の限界を超えていくことに
喜びを感じていました。


損得ではなく自発性や
使命感でサッカーをしていました。


小さい頃から感じていた
違和感、疑問が正しかったので
安心しました。


ようやく
競争意識を持たなくていい自分を
許せました。


そして
僕も結果が出せるようになりました。


とは言っても
僕も人間なので
競争意識が沸き上がる時も
当然あります。


不安にかられることもあります。


でもそこで立ち返るのは

『1人でも多くの人が感動できるサッカー』
『観た人の人生を変えるようなサッカー』
『そういう表現者でありたい』

という

競争意識とは無関係の
根っこの大事なところです。


これは
サッカー選手に限った話
ではありません。

今この状況で
多くの人が

仕事をする意味や
何を大事に生きるかという
ことを考えています。

環境が大きく変わり
それに伴って
人の心も変わっていきます。


人類史史上最悪の
状況のおかげで

競争社会を勝ち抜く必要が
なくなり始めた。


と僕は感じています。


ただ目の前の試合を

来てくれたお客さんのためにやる。

そこに気負いはなく

いまその場を全力でプレーするだけ。


もちろん
勝つためのプレーをするし
負ければ悔しい。

けどそれは
競争に負けたからではなく

もしかしたら
見に来てくれた人が
悲しんだかもしれないと
思うから。

あるいは
自分の可能性が見えるだけに
もっとできるという悔しさです。

言い換えれば
成長欲求。

そして
周りの人とのつながりを求める
人として純粋な部分です。


違う側面から見ると
サッカーというのは


敗者がいて初めて
素晴らしいゲームが
成り立ちます。

そう思うとき

大事なのは
どういう敗者であったか

そして勝つときも
どういう勝者であったか。

だと思うのです。


お金を稼ぐためにプレーをしていた敗者や
勝者では
流石に寂しいです。


人生の一部を占めるサッカーや仕事。

だからこそ
なぜサッカーか?
なぜこの仕事か?

考えてみることは
コロナ後の世界に進む前に
大事なことかもしれません。


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最悪な出来事の裏には
人生に最高をもたらすいい意味が
必ず含まれています
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人類史史上最悪のウィルスに
僕たちは助けられた。と思える日も
来るかもしれません。


健康に気をつけて
今日も良い一日を。


最後まで観て下さって
ありがとうございました。


SHO SHIMOJI

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