小さい頃僕は
いつも小学校の校庭で
バッジョやデルピエロとプレーしていました。
近所のサミット公園では
公園の遊具が
ドリブルする僕にとって
世界最高峰の
ディフェンダーたちでした。
児童館のサッカー大会の
一試合一試合が
プライドをかけた
チャンピオンシップの決勝でした。
歩き方からボールの蹴り方
シュートを決めた後の
ゴールパフォーマンス。
子供の頃は毎日
好きな選手の真似を
していました。
ビスマルクの
祈りのポーズは
当時相当流行った。
(時代を感じる。笑)
夢中になっていた
サッカー選手ごっこが
今の僕を創りました。
・・・
「イメージするんだ。それだけでいいんだ」
映画『フック』の
1シーンが
僕は好きです。
大人になって観たときは
ちょうど
イメージする力を失い
口では
「頑張ります」とか
「夢を追っていこうと
思います!」
って言ってたけど
実際は
自分の年齢
自分の実績
自分の能力に
限界を感じ
今までやってこれなかった
自分の過去を嘆き
人の成功に嫉妬していました。
日々追われる仕事と
お金のことに嫌になりながら
夢を持つことも
楽しいことをイメージすることも
できなくなっていました。
だからか
その映画を観て
飛べなくなったピーターと
自分を重ねていました。
昔は誰もが
イメージの天才だったはず。
そこには
無限の可能性があって
それこそ
何だってなれたし
何だって
すぐに上達しました。
でも
大人になるにつれて
イメージするのが怖くなりました。
「それは普通じゃない」
「それは常識的ではない」
「それはできるかわからないんだし、
とりあえず安パイで」
「とりあえず今は
こっちの方がいいんじゃない?」と
沢山の人から
言われるようになりました。
テレビを見れば
普通じゃない人は
叩かれ
からかわれ
笑い者になっていました。
さらに夢を
目指していく途中には
『周りはライバルだから蹴落としてでも上に行くんだ』
『自分をスターとでも思っているのか?」
『調子にのるな』
『結果を出さないといけないよ』
『全員が全員夢を叶えることはできない』
『そんなことできないんだから、自分の能力にあったプレーを選択しろ』
と教えられ
イメージを膨らまそうとしては
怒られ
広がるはずの世界を
止められ
それが正しいと
教えられてきました。
でもいつも
心のどこかで
『それは違うんじゃないか』と
感じてきました。
・・・
大人になって飛べなくなった
ピーターパンが
また飛べるようになるきっかけ。
『そうだよ。イメージするだけでいいんだよ』って
昔の僕が
言っている感じがしました。
昔の僕が描いた
サッカー選手のイメージ
『そのままのイメージでいいんだよ』
と言われている気がして
心が落ち着きました。
それから
この映画が好きになり
観る度に
大人のピーターパンに
なりかける僕に
大事にしていた思いや
イメージの世界を
信じさせてくれました。
・・・
周りから
バカ扱いされる。
イタイやつ扱いされる。
それが怖いので
だんだん
目に見える世界だけを
見ようと思い
目に見えない
イメージの世界を
捨て始めます。
でも
いつだって夢なんて
最初はただの空想。絵空事。
でもその世界が好きになり
夢中になっていくと・・
”夢中”って夢の中なんだ。って
今書いていて思いました。笑
夢の世界に没頭して
ボールを蹴り続ける。
夜寝る前に
イメージして
また起きたら
ボールを蹴る。
でもそれが
あるラインを超えると
現実になり始める。
『じゃそのラインはいつなのか』
『本当にそのラインはあるのか?』
それは誰にもわかりません。
だけど
それは必ずある。と信じる。
そしてまた
夢中になってボールを蹴る。
その繰り替えし。
正直なところ
夢を実現する人は知っています。
周りの冷ややかな反応も
周囲からイタイやつと思って
見られていることも
それが常識的ではないことも
冷静に考えたら
おかしいってことも
知っています。
”夢を実現する”かわりに
それが実現できなかったら
自己責任。
それも知っています。
100%敗北したら
何も残らないのも覚悟しています。
(嫌だけどw)
だけどぼくは
いくつになっても
どんなときも
小学校の校庭で
本気で世界の
トッププレーヤー達と
サッカーしていた自分を
大事にしていきたい。
たくさんの
諦める理由が
出てきたときに
『イメージの世界を広げていくことで
夢を実現する自分になれる』
そう信じて。
ロビン・ウィリアムズ大好きです。笑
それでは今日も最後まで
観てくれてありがとうございました。