『先生-ベジータ-アーティスト』サッカー選手に大事な無目的な探求

先生-ベジータ-アーティスト
『僕って何かなぁ。』
と考えるとこんな言葉が浮かんだ。

今日はふと思ったことの
ノート。

先生とは”教える人”ではなく
”先に生まれた者”と書く。

パラグアイで
選手たちがコーチをコーチとは言わず
“Profe”と呼んでいた。

これは”Profesor”(プロフェソール)
いわゆる”先生”
という意味なんだけど

”学ぶ感覚”が呼び起こされて
いい呼び名だなと思った。

”Profe”も
自らをコーチではなく
”選手たちの人生の先輩”

先に生まれた者として

人生を共に過ごす後輩に
叡智を継承している

そんな感覚だったのを覚えている。

なぜProfeがいいなと
思ったかというと

コーチというのは
”導く者”という意味なので
選手もどこか受動的になりがち。

コーチ自身も
上から行く感じ。

それに
どこかにたどり着くという
”ゴール”がはっきりしているのが
僕はしっくりこない。

サッカーに正解はない分
探求する学び
の方がしっくりくる。

確かにプロだから
結果や何かしらの
”ゴール(目標)”が必要で
そこに向かっていく一面はあるけど

それの一面であって
全てではないと僕は思っている。

今はその結果やゴール(目標)を決めて
そこに向かうことだけが
取り沙汰されているけど

本当にすごい選手の
パフォーマンスは
むしろその逆。

どちらかというと
日々学んでいく姿勢の人ほど
すごいパフォーマンスをする選手が多い。

そういう意味で
Profeというのはいい呼び名。

僕も選手から
そっち側に回ってきている
感覚がある。

こういう発信も
その一つの活動。

学びというのは
特にゴール(目標)がないし
終わりがない。

大事なのは
毎日の成長と気づきと探求。

もちろん
それが結果には繋がるし
結果が出た時の爽快感はたまらない。

けど
そのトータルが楽しい。

自分の人生の喜びは

どんな成長したか
何に気づけたか
何に探求しようと考えられたか

そういうのが
自分の中で結構大事な快感というか

そういう人生を生きるのが
好きなんだと改めて認識した。

じゃベジータは?となるけど

サッカーで言えば
”最強になる”という
漠然としたゴールはある。

でも
”最強”に
明確な定義も終わりもない。

だからそういう意味で
僕はベジータに近い。

ベジータの
最強への追求。

それは純粋に
遊び続ける子どもと一緒。

周りから見れば無意味だし
すごい集中力で
ストイックだけど

彼にとっては
自分の成長、日々の気づき、探求
それ自体が目的で楽しい。

周りから認められるような
ゴール(目標)はない。

一生続けられる
趣味みたいなもの。

そこで大事なのは
結果ではなくて

どんな成長をしたか。
何に気づけたか。
何を探求しているか。

サッカーをしていて
最高の瞬間は

『誰も気づかないことに
おそらく自分だけが気づけた!』
というとき。

『これは俺だけの感覚・気づきだ』
というとき

優越感で
1人ニヤニヤしてしまう。

でも
そこは周りの比較はないし
承認されることもない世界。

そういう意味で僕は
ベジータ。

周りから見れば
変なあるいはストイックな
ちょっと暗くて
とっつきにくい人だけど

本人はいたって
楽しんでいる。

でも実は
天才的でカカロットみたいな
底抜けに明るい人や

めちゃくちゃ結果を出す人や
周りからチヤホヤされる人、

進化がめちゃくちゃ早いメンタルが強い人に
嫉妬はするけど

ベジータの
マイペースさ
遅いけど必ず成長する感じ

ネガティブさや
不安の感じやすさ
それを見せないように振舞ったり

それでいて
すぐ有頂天になって
痛い目をみる。

なんども同じミスをするし
ブルマに何も言えない
感じとかも

悟空よりもよっぽど
人間味溢れている感覚
というのは

成長や探求には
実はもってこいだったりする。

そして
周りの承認があまり必要ない
という点では

アーティスト。

アーティストは
まず自分がお客さんで

(この意識が強すぎると
サッカー選手としてはダメだけど)

自分が納得いくものを
求めてさらに
表現したがる。

僕の場合は
サッカーはアートで
自分の内面が表出するものだと
いう認識も強い。

もちろん競争社会だから
周りの評価コーチや
チームに合わせた部分も大事。

監督へのおべっかも
時には必要。

周りの目を気にしすぎて
うまくいかない時期もあったから

バランスは大事。

だけど

そんな時期を過ごしつつも
いつも小さい頃から
表現者として譲れない部分はあって

だから
ロベルトバッジョに
憧れたんだと思うし

どちらかというと
南米の選手の方が好きなんだと思う。

最近は
南米の選手も結果ばかりに
偏っていて

アーティスティックな人は
減ったけど。

先生-ベジータ-アーティスト

そんな感覚で生きてきた僕は
内面との対話に
時間を割いてきた。

底抜けにポジティブにも、
才能溢れる悟空にもなれなかったけど

ベジータ的なあり方を探求して
メンタルが弱くても結果を出してきた
選手としての

メンタルについて
初めて話した。

・継続ができない
・大一番で結果が出ない
・メンタルが弱い

と悩んでいる人の役に立つかなと思う。

結果は大事じゃないけど
結果を出すのは大事。

説明しづらい
”結果を出すこととメンタルのホント”を
公開中。

ベジータ的なサッカー選手に興味がある人はぜひ。
*コメント欄からみれます。

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