『”スーパースターはいらない”というチームのサッカーは』

 
 
・・・面白いのだろうか?
とよく思います。
 
 
僕はプロになる前も
プロになってからも
 
 
たくさんのコーチや監督に
会ってきました。
 
 
だいたいどの国でも
どのカテゴリーでも
 
 
「うちのチームにスーパースターはいらない」と
 
いう人が多い。
 
 
 
それは
 
 
『チームとして機能するために
自分勝手なプレーは許さない』
 
という意味ではあるともいます。
 
 
でも一方では
 
『たとえ
素晴らしい選手であっても
 
計算しずらく
扱いずらい選手は
 
勝てなかったときに
責任を負う監督としては
使いたくない。
 
だから一生懸命
私の言うことを聞いて
頑張って働いてくれる選手がいい。』
 
 
ということでも
あると思います。
 
 
確かに
 
 
スーパースターは
扱いずらいかもしれない。
 
 
彼らはサッカーを
知っているから
 
監督の理念や戦術と
合わないことは十分あり得る。
 
 
 
でも
スーパースターと言われる人は
 
 
『そういうときは
出れなくてもしょうがない』と
 
 
覚悟しています。
 
 
 
『自分を使わないからあの監督最悪だ』なんて言いいません。
(ちょっとは思うかもしれないけど。笑)
 
 
そういうことを
言っちゃうような
 
名ばかりの
スーパースターや
 
規律を乱す選手は
必要ないとも思う。
 
 
でも
僕が見てきた
世界のトッププレーヤーや
 
 
本当の
スーパースターは
 
人間的にもすごい人が多い。
 
 
 
優しく人想いだし
チームのことを考え
 
強くなるためには
嫌な役回りでも引き受けたり
 
 
監督との意見が違って
 
 
試合から外れても
それを受け入れて
 
 
ふてくされることなく
 
 
練習でも
サブ組の練習試合でも
一生懸命やる。
 
 
それでいて
試合に出れば
活躍し勝利に導く。
 
 
それが本当の
スーパースター。
 
 
彼らは
会って話しただけで
 
 
人生に影響を
与えてしまうような
 
かっこいい人たちばかりです。
 
 
 
街で見かけたら
写真撮りたい
 
握手したい
触れたいと
 
思うほど
エネルギー値が高い
存在。
 
 
そして
触れるだけで
元気にしてくれる存在。
 
 
それが
スーパースターであり
 
 
サッカーが持つ
僕たち人間の可能性を
表現する
 
 
プロフェッショナルな人たちです。
 
 
 
だからこそ
 
 
 
『スーパースターのいないサッカーに
子供が夢を持つんだろうか』
 
『そんなサッカーに将来はあるんだろうか』
 
『選手はスーパースターを目指さなくていいのか』
 
 
 
と思ってしまいます。
 
 
 
・・・ 
 
 
 
僕が憧れたのは
 
カズやラモスや中田
バッジォやジダンやストイコビッチ
 
彼らのような
スーパースターがいなければ
 
僕は
サッカーをそもそも
続けてないと思います。
 
 
・・・
 
 
最近は
 
これ以上
上を目指さない自分や
 
これ以上
格好つけようとしない自分が
 
出てきた時に
いつも自問します。
 
 
『おまえは
サッカー選手として
そこを目指さないでいいのか?』と。
 
答えはもちろんNo. 笑
 
 
 
というのも
 
僕は以前
 
 
普通の選手に甘んじていました。
 
『どうせ自分はこれぐらい』
『自分の役割はこれぐらい』と
 
割り当てられた仕事を
こなす人でした。
 
 
 
でもそれは
よくよく考えたら
サポータやファンに失礼。
 
 
そして何よりも
 
自分の可能性を
自分で否定する時
 
自分に一番失礼。
 
一番心が傷つき
自信を失う瞬間です。
 
自分を一番信じれない時
一番苦しいです。
 
そしてそんな
”自分を信じれない選手”のプレーが
 
人々を魅了するはずがありません。
 
  
 
そんな
自分のためにも
人のためにもならない
 
 
”自分の限界に
甘んじるということ”を
 
 
僕は海外に出るときに
やめました。
 
 
だから
僕は子供でも
プロのサッカー選手でも
 
自分のためにも
世のためにも
 
本物のスーパースターを
目指すべきだと
 
 
思うのです。
 
 
逆に
本物のスーパースターを
目指していかなければ
 
 
子供やファンが憧れ
尊敬するような
 
人間性も
プレーも身に付かない。
 
 
日本は部活でも
クラブチームでも
 
人間性や
精神性を説く
 
すごい指導者の方々を
僕は知っています。
 
 
だからこそ
 
 
選手は
監督の意向をくみ
監督の想像を超える
 
 
自分のため
チームのため 
 
世のため
人のためになる
スーパースターを
 
 
目指すべきだと思います。
 
 
 
そうやって
 
はるか彼方にいる
理想の自分を
イメージして
 
とことん
心も技も体も磨いていく。
 
 
そうやって
見えない世界を信じて
 
突き進んでいく
僕たちサッカー選手は
 
 
世界にとって
いい存在になれると
 
 
僕は信じています。
 
 
 
とはいえ何も
 
点を取ることや
結果の出る選手が全てじゃない。
 
 
稼いでいる選手や
有名選手がスーパースターではないとも
思います。
 
 
一生懸命頑張る選手でもいい。
 
 
それも一つ。
 
 
でもそれすらも
一生懸命頑張る選手ですらも
 
 
一生懸命頑張るスタイルの
スーパースターとして
プレーするべきだと思うのです。
 
 
それは
人それぞれスタイルがあるし
サッカーにもいろんな形があるからです。
 
 
これまで僕は
 
 
行く国
行く街で
 
全く違うサッカーが
存在しているのを見てきました。
 
 
だけど
違う場所の
違うスタイルのサッカーにも 
 
 
一つだけ同じことがありました。
 
それは
サッカー選手という存在が
 
どの場所でも
 
そこのファンや
その国の人々にとって
 
そこの子供たちにとって
夢・憧れであり
 
毎日の生活を
生きる活力だということです。
 
 
・・・
 
最後に昨日
観ていたYoutubeで
 
 
孫さんが後継者を作る
アカデミーで
 
「もし君がソフトバンクの後継者になって
その記者会見で
 
「図らずも社長を拝命しました」と
「図らずも」と絶対に言うな!」
 
と強く念を押して
言っていました。
 
「図らずも社長になったのなら
その社員やお客さんがかわいそうだ。」
 
と言っていました。
 
 
僕たちは
 
「図らずもサッカー選手になったわけではない」
 
『スーパースターに憧れ、スーパースターになりたい』と思い
 
『自分もあの人たちみたいに
子供に夢を与えれるかっこいい大人になりたい』
 
そう思って
小さい時から
 
”図って”サッカー選手に
なりました。笑
 
 
 
『図らずにサッカー選手になったのなら
そのチームのファンやチームメイトはかわいそうだ』
 
 
孫さんは言っているのだと
思います。
 
 
ならば
覚悟を決めて
 
とことん
スーパースターを目指す。
 
 
とことん
スーパースターとしての
心技体を極めていく。
 
 
終わりがない進化と
 
人としての器を
広げていく中で
 
 
日々もっと
サッカーが上手くなって
 
観に来た人を
感動させる価値のある人になっていく。
 
 
それが
スーパースターだとして
 
一人一人が
それぞれ描く
最高のスーパースターを目指し
 
その先に
スーパースターだらけの
サッカーがあったなら
 
それは最高なんじゃないかなと
思います。
 
 
それでは今日も最後まで
観てくれてありがとうございました。
 
*写真はタイで活躍する
スーパースターたちと。
S.S = Super Star =Sho Shimoji 笑

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