監督の供養になることは・・・

水曜日、監督の告別式のあとで初めて臨んだリーグ戦で
僕たちは7-0で大勝しました。
今シーズン初ゴールも挙げることができました。
 
監督のためにプレーしました。
 
なんて格好つけるつもりはありません。
 
 
実際試合中に彼の顔が
頭に浮かぶことはありませんでした。
 
 
もちろん彼の供養になるような試合をしたい
という気持ちはありました。
 
でもそのためにどうするかと言ったら
『楽しく自分らしく自分のためにサッカーする』
ということでした。
 
 
「ピッチで厳しく楽しくPlayする事が何よりの供養だ」
 
 
試合前、
選手として、また人としても好きな人から頂いた
この言葉のおかげで
ぼくはまた新しい一歩が踏み出せたと思います。
 
 
 
 
「まず人のためになることをしろ」
 
 
ぼくはそう教わってきました。
僕だけでなく多くの人がそうだと思います。
 
 
自分よりも先に相手を思いやり、大事にすることが
人としての基本だと思ってきました。
 
さらに僕は先に自分を大事にすることを
いけないことのように思っていました。
 
「自分のことが大事だ。好きだ。愛してる。」
 
とでも言えば周りからは変な目で見られるか
「あいつナルシスト!自己中!」
と言われてしまうかもしれません。
 
もちろん周りに迷惑をかけることはいけないことかもしれません。
 
ただ
自分を大事にできない人に
他人を大事にすることはできません。
 
 
たいてい僕の周りにいるすごい人たちや
尊敬するようなかっこいい人たちは
自分をまず大事にします。
 
そんな大事な自分と関わるんだから
当然家族や友達も大事にするのです。
 
 
人を喜ばせたいならまずは
今自分が喜んでそのことをやっているか。
 
人を幸せにしたいならまず
いま自分が幸せか。
 
そこから全てが始まると思います。
 
 
さて、この一週間
監督が亡くなっていろいろ感じて考えました。
 
ぼくは魂の話や幽霊も信じていないし
死後の世界や生まれ変わりがあるなんて思っていません。
 
 
だけどもしそういうのがあるとして、
死んだ人のためになることはなんだろうと考えて
出てきたのは
 
【その人がもう一度生まれてきたい世界にする】
 
ということでした。
 
 
それはどういう世界かというと
僕たちを見て
 
『面白そうだからまた生まれ変わりたいな』
という思える世界です。
 
その世界の大きな条件は
【自分がやりたいことを思いっきり楽しんでいること】です。
 
 
僕にとって
「ピッチで厳しく楽しくPlayする事が何よりの供養だ」
という言葉はド・ストライクでした。
 
 
そんなサッカーを毎試合していたら
監督はうずうずしてまたこの世界に帰ってくるんだと思います。
 
そしてまた会えた時にも使ってもらえるような
楽しい選手でありたいなと思います。
 
あの世を信じない自分ですが
今回も自分にいいように考えてみました。笑
 
 
今回心配してくれたたくさんの方がメッセージをくれました。
ぼくは人に恵まれていると思います。
 
本当にありがとうございます。
 
 
ちなみにあの言葉をくれたのは
そう。Takuya Yamadaです。
 
中学の頃から僕の尊敬するかっこいい大人&サッカー選手
【山田卓也】です。
 
 
タク(山田卓也)さんは
まさに自分を大事にして自分らしくやりたいことをして生きながら
それでいて周りにエネルギーといい影響を与えてくれる
数少ないかっこいい大人の代表です。
 
ありがたいことに僕の周りには
年々こういう人が増えていますが
みんな世間で言う変わり者ばかりです。笑
 
 
でもそういう人たちは厳しくも実は温かい人ばかりです。
そして周りの人にいい影響を与えて
人を励まし応援してくれます。
 
変人マインドは少し受け入れづらいところもありますが
あらためて自分もそういう人でありたいと思いました。笑
 
 
 
 
自分のためとは
自分の本気でやりたいことのために生きていくことです。
 
 
そしてそれは結局
一緒に過ごした監督だけでなく
出会った人達やこれから出会う人たちの
ためになるんだと思います。
 
 
またまた長くなってしまいましたが
今日も最後まで読んでくれてありがとうございました。
 
Shimo

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