『本当はすごくない自分がバレないようにベンチの陰に隠れていました。。。』南米パラグアイ編

ボールを触るのが怖くなった

試合に出られないことにホッとした

 

パラグアイについて

3ヶ月が過ぎた頃

 

 

練習の紅白戦すら出られず

ベンチ脇でアップをしながら

 

毎日チームメイトのプレーを

観ていました。

 

毎日出れるのは

終了間際の5分ぐらいでした。 

 

 

パラグアイでは

”試合に出るようになったら給料が出る”

という契約だったので

 

 

当然無給。

 

 

日本で貯めた

わずかな貯金も

日に日になくなっていきました。

 

 

チームに所属はしているけど

完全に戦力外。

 

 

「プロサッカー選手です」とは

言えない状況でした。

 

 

最初抱いていた

南米の地に着いたときの高揚感も

 

『アピールしてここで結果を出していくんだ!』という

モチベーションも

 

次第に落ちていき

 

『これ以上失敗したらどうしよう』

『この状況で出て、もしうまくいかなかったらもう終わりだ』

日に日にグラウンドに

立つのが怖くなっていきました

 

 

練習に行くのが憂鬱で

 

スペイン語を

勉強するのが嫌になり

 

練習以外は

部屋に引きこもっていました。

 

 

ひたすら

日本語のYouTubeを観て

無駄に時間を過ごす毎日。

 

 

練習にいっても

ボールを触わるのも緊張し

パスを受けるのが

怖くなっていきました。

 

 

 

そして

紅白戦が始まれば

タッチラインの外でアップしながらも

 

監督に呼ばれるのが怖くて

他の選手やベンチの影に

隠れるようになりました。

 

 

周りには

『南米に行って夢を追ってガンバっています

言うことで

 

 

”それらしくすごい自分”を

演じていたから

 

余計に

 

”失敗したくない”という恐怖で

動けなくなっていました。

 

 

ある日

最後まで紅白戦に

出れなかった僕は

 

 

自分が

ホッとしていることに

気づきました。

 

 

『今日も失敗しなくてよかった。出れなくてよかった』

 

と思っていました。

 

 

そうして僕は

トップチームからセカンドチームに

落ちました。

 

 

 

そんな2011年6月のある日

急遽ブラジルにいた

ジョズエ(トスでも一緒にプレーしていた)から

 

 

「こっちなら給料は安いけど

チームはあるしブラジルでプレーしたいなら来いよ!」

という誘いがありました。

 

 

無くなりかけていた貯金。

 

もうすぐ家族もこっちに来る。

 

お金と生活の心配が

大きくなっていました。

 

それでも僕は

元々ブラジルに

行きたかったこともあって

 

パラグアイで何も

結果を出せずにいたけど

 

『ここからもう一度自分は変わるんだ』

『夢を掴むチャンスなんだ』と決意しました。

 

 

そういうと

カッコ良く聞こえるけど

実際は

 

 

『現実を見たくない』

 

『夢を追って頑張っている自分を周りに見せていれば

「へぇ下地は南米で頑張ってるんだ〜すごいじゃん」

って認めてもらえる』

 

『結果はそのうち出ればいい』

 

 

そうやって日に日に

 

『南米でサッカーをやって、

憧れた”世界で活躍するプロ選手になりたい”』

という純粋な夢は

 

 

”すごい自分でいれるための夢”

”周りに認められるための夢”

となり

 

そして、それが

自分の唯一の支えでした。

 

 

そして僕は

ブラジル行きを決めました。

 

2011年6月のことでした。

 

 

・・・続く

 

 

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