『剣とはなんだ。我々が命と見立てた剣は・・・』

 
天下無双を目指す武蔵。
 
 
常に頂上を求めて戦う
サッカー選手である自分と
重なり
 
 
常に勝つには
常に点を取るには
 
 
戦うとは?
勝つとは?
 
どうしたら本当に強い男になれるのか。
本当に強いとは何か。
 
日々そんなことを考えるので
 
最強の剣豪といわれた
宮本武蔵の生涯に
 
僕はすごく惹かれます。
 
 
特にバガボンド7巻の
武蔵が尊敬している
宝蔵院胤栄と柳生宗厳の回想シーンで
 
 
師の上泉伊勢守秀綱が
若かりし頃の
胤栄と柳生宗厳に
問う言葉をいつも読み返します。
 
 
「技の研鑽(深く研究すること)は素晴らしい。だが心の中は”我”のみ。それのみである。」
 
「ならば剣とは。我々が命と見立てた剣とは?そんな小さなものかね?」
 
 
・・・
 
上泉伊勢守秀綱が
たどり着いた
 
勝ちや負けを超えたもの
の先にある境地。
 
 
そういうものは
サッカーにも必ずあると
僕は思っています。
 
 
日本の文化や武道の中には
そういう精神を
説いてきたものが多いし
 
そして
そういう風に
説いていた歴史上の人たちは
実際に強かった。
 
 
余談だけど戦後GHQが
日本の古武道を禁止したのも
 
そういう精神性が
日本人を強くするのを
おそれたから
らしいです。
 
 
だから
 
そういうものが
今はないとはいえ
 
僕たちの中には無意識に
 
本当の強さみたいなものを
求める心が備わっているのだと
感じます。
 
 
サッカー選手という職業も
サッカーというものや
 
あるいは
人が描く夢というものは
 
そもそも
 
勝敗を超えたもので
 
 
お金の多寡を競うものでも
優劣を比べるものでも
お金を生む産業のためでもなく
 
 
言葉には表現しづらいけど
そういう境地を目指すもの
なんじゃないかと
 
中学ぐらいから
感じていました。
 
 
僕は日本人だからか
もともとそういう
 
精神面の鍛錬
というのが好きだった
みたいです。
 
 
でも
精神面を重要視しすぎると
 
よく
 
『勝敗が全てじゃないってことですか?』とか
 
反対に
 
『勝つことが全てでしょ?』って言われますが
 
そんなことは
むしろ当たり前だと
思うのです。
 
 
サッカーで
勝つことを目指さないなんて
ありえない。
 
 
負けてもいいなんてことはない。
 
 
それは去年
散々負けたので
身にしみてわかっています。笑
 
”勝っても負けてもいい”・・・じゃない。
 
本来は
その先のもっと大きい
 
『勝つことだけでは足りない』という
 
より厳しい世界が
サッカー選手の住む
世界であり
 
上泉伊勢守秀綱が
達した境地であり
 
剣とは何たるか。
 
 
あるいは
 
サッカーとは何たるか。
 
 
ということなんだと思います。
 
 
 
とはいえ
 
僕は31になり
 
もう25年もサッカーを
やっているけど
 
心の中は”我”の時間が多い。
 
むしろ
 
”それのみ”のときもおおい。
 
 
『自分が活躍したい』
『自分が点を取りたい』
『もっと稼ぎたい』
 
『もっと結果を出したい』
『あいつより上に行きたい』
『あいつらより勝ちたい』
・・
 
でもそこでぶち当たります。
 
むしろそういう時は
 
どんなに毎日練習し技を磨き
 
うまくなり
強くなったとしても
 
結果は出ません。
 
 
そうして
『それだけでは足りないんだ』と気付き
 
 
上泉伊勢守秀綱の言葉が
よみがえります。
 
『相手に勝つこと、己の存在を示すこと、
そのことのためだけに剣(サッカー)はあるのか?』
 
その先にはもっと大きな世界や
自分のあり方があるんだと
 
考えさせられます。
 
 
僕たちは
 
夢を持つこと・
その実現に向かうことで
 
まず勝つ。ことを知ります。
 
 
けど
 
もっと美しく勝つ
 
もっと情熱的で感動的に勝つ
 
それでありながら
 
もっと人々に喜びを
もたらすようなサッカー
 
もっと子供達に夢や人生の目的を
見せるようなサッカー
 
を目指すようになり
 
たまに
負けてしまうと心に
ぽっかり穴が開いてしまったり
 
反対に
 
観にきた人たちが
来週の試合を心待ちにして
 
 
次の一週間を
ワクワクして過ごせるような
活力を生み出すサッカーができたり
 
 
最大のライバルだとしても
スタンディングオベーションを
向けてしまう
 
素晴らしいサッカーになったり
 
・・・
 
世界一のサッカークラブである
バルセロナがなぜ
 
『クラブ以上の存在』という
イメージを掲げているかも
 
サッカーをただの
勝敗の世界のもの。
結果至上主義のもの。
 
 
だけでなく
 
それよりも大きな存在として
捉えているからだと思うのです。
 
・・・
 
僕は
70歳ぐらいになった時に
ヨボヨボなのに
 
走り回る
現役の選手を相手に
 
歩きながらサッカーをして
 
また抜きをかまし
ハットトリックして
圧倒的に勝ち
 
『サッカーとは?己が命と見立てたサッカーとは?そんな小さなものかね?』
 
『わがサッカーは天と一つ。ゆえにサッカーはしなくてもいいのです。』
 
って言いたい。笑
 
そういう境地に達し
説く人でありたい。
 
だからその日まで
まだまだ
サッカーは終わらない。
 
その世界が存在するとして
サッカーはそういうもんだと
僕は信じて
 
“我”の自分も見つめながら
 
今日も思いっきり
 
ボールを蹴ろう。
 
それでは今日も
最後まで観てくれて
ありがとうございました。

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