試合にでれない劣等感を才能に昇華させる方法

劣等感まみれの

南国サッカー選手だから知り得た真実

”染み付いた劣等感は才能 ”

人の成功を妬む気持ちを力に変え

多くの人を喜ばせ

子供に夢をみせるサッカー選手になるための

人間臭い人が成功するというサッカー界の秘密

 

僕は試合に出れていなかった時

チームメイトの”失敗”を心から願っていまいした。

 

反対に

チームメイトの成功で心がざわつき

夜も眠れませんでした。

 

試合にでれない劣等感は

『監督が使ってくれない』という被害妄想をつくり

 

監督への恨みは

殺意にまで変わりました。

(大げさではなく本当です。行動には出なかったのでよかった^^;)

 

完全に逆恨み。笑

僕はそんな自分が嫌でした。

 

正直このままでは選手としても

人間としてもまずいな。

 

 

そう思った僕は

仲間の成功を心から願えないからうまくいかないんだ

と考えました。

 

”チームのために仲間を応援する”

という詭弁(きべん)

 

周りの監督やコーチも

 

出てない時にチームのために』とか

人としてどうあるかが大事だ

『自分ができなくてもサポートする心が大事だ』

そう言っていました。

 

今ではコーチや監督が

そう言っていることも

理解できますが

 

当時僕は

コーチたちが言う一般的な綺麗事に

絶望していました。

 

『お前は試合にでれないから他の仕事で頑張れ』

そう言っているように

僕は感じていました。

 

だって

『本当は試合に出たい』

『活躍したい』

 

その思いを

押し込めれば押し込めるほど

 

 

『なんであいつが活躍してるんだ』

とか

 

『おれの方がすごいのに』

『おれはもっとやれるのに』

という劣等感は強くなっていったし

 

”いいプレーしなきゃ”

”失敗しちゃダメだ”って

焦りだけが募ってプレーの質は下がっていきました。

 

そして

 

それとは反対にどんどん

結果を出していく仲間に対して

 

妬む気持ちは大きくなっていったし

 

”心から仲間を応援できなくなっていく自分”が

 

嫌になって

 

監督やコーチから

「チームのためにやってくれてありがとう」って言われても

全く喜べなかったし

 

コーチが言う一般的に当たり前の

”人としてのあり方”をしても

心からそう思えない自分はダメなんだなと思っていました。

 

 

 

 

 

劣等感は才能

 

でもその状況を断ち切ったのは

『劣等感は才能である』と知った時でした。

 

 

そこから僕は

いい人を演じなくても

劣等感まみれの自分でも

 

その劣等感をパワーに

才能を引き出すことができて

 

毎日の練習の集中力が上がって

みるみる上達していったし

 

監督や人のせいにすることがなくなって

 

それによって

自分のプレーに責任を持てるようになったから

結果も出るようになって

 

自分の評価や賞賛

お金とかを得たけど

 

それ以上に

応援してくれる人を喜ばせたり

子供達の夢や人生の目標になるという

プロとしてのやりがいも感じることができました。

 

 

いい人を演じたり

自分をチームの犠牲にして

本当はしたいことを押し殺さなくても

 

自分にとってもチームにとってもいい結果を得る

そういうパフォーマンスを出して

いけるようになりました。

 

逆に今だからわかるのは

 

”『チームのために』と最初から思えなくてもいい”
”劣等感を否定せず、いい人を演じない方が才能を引き出せる”

”世界のトッププレーヤーは劣等感を力にして活躍している”

”コーチが言う”チームのために”は信じなくてもいい”

”劣等感は才能”

ということ。

 

今日はその

”劣等感を才能に昇華させる方法”について

 

劣等感をプロレベルの才能に引き上げる

最後の重要ポイントについて

4月22日と23日にバンコクでお話します。

詳しくはこちらから

http://sho-shimoji.com/
 
 
サッカー選手と無料スカイプ相談も期間限定でやってます
→http://sho- shimoji.com/skype%E7%9B%B8%E8%AB%87/
 

今日も最後まで観てくれて

ありがとうございました。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

上部へスクロール