『赤道ギャグ』を使いこなせる大人を目指して

今日は。

前回高校の授業で読んだ

『山月記』の虎の話をしました。

あの話は僕は興味をそそられたものだったので

覚えていたんですが

学校で先生がしていた話って

何か覚えていますか?

僕は教えてもらったことを

ほとんど覚えていなくて

どの先生が怖かったとか優しかったとか

好きだった嫌いだった面白かった。

ぐらいしか覚えていません。

あとは友達と

どうだったとかこうだったとかそういう感じの思い出ぐらいしか覚えていません。

そんな覚えの悪い生徒だった

僕の数少ない記憶の中でも

よく覚えている授業での話があります。

それは中学の理科の市川先生の話。

彼の話は面白くてよく覚えています。

と言っても2・3個なんですけどね^^;

例えば

授業で出てくる『触媒』という語句の漢字の覚え方。

『媒』は確かにあまり使わないので

『どうやって覚えるのかな~』と思っていると

市川先生 「この字はこう覚えます。」

・・・

「女の子に甘い木」

・・・・

人生でこれほど漢字を一瞬で

覚えたことはありませんでした。

なんの関連もない言葉を言っただけなのに

14歳の男子にはそれで十分でした。

これはかなり衝撃的でした。

30になった今でも

この授業の内容は覚えていないのに

『触媒』の『媒』だけは絶対に書けます。

そんな中学生男子の心をつかんで離さない

市川先生の話の一つに

『赤道ギャグ』というのがありました。

それは昔先生が友達と一緒に

 海外旅行に行かれたときの話でした。

飛行機がちょうど赤道ら辺を通過するとき

友達はいきなり窓に寄って

周りの人が聞こえる声で

「へぇ~赤道って本当に赤いんだ~」と言ったところ

周りの人のほとんどが反応して外を見て赤道を確認。

それを見て市川先生と友達は大笑いした

という話です。

理系男子のイタズラはインテリジェンス溢れるもので

『大人になったらやってみよう!』僕はそう思っていました。

もちろん赤道は赤いわけでも

地球上に実際にあるわけでもありません。

地図や地球儀には描いてあっても

実際にはありません。

大人になりぼくは世界を旅しながら

サッカーをさせてもらっていますが

今までに国境の線も赤道も日付変更線も

実際に見たことがありません。

実際にはないのに

当たり前のように僕たちの頭の中にある

線。

赤道や日付変更線だけじゃなくて

いろんな線引きを僕たちはしています。

あっちの国こっちの国。

あっちの人こっちの人。

国境と同じように僕たちの中には

特別な根拠も何もないのに

ただ昔からそうだったという理由で

線を引いてしまうことがたくさんあります。

日本人だから。とか

男だから。とか

30歳だから。とか

子供がいるから。とか

あるいは

お金があるから、ないから。

能力があるから、ないから。

今までそうだったから、今までそうじゃないから。

時間があるから、ないから。

常識だから、常識じゃないから。

これは正しいから、正しくないから。

・・・

そういった制限を知らず知らずして

あっち側に行きたいのに

自ら可能性の線を引いて

できる範囲で止まろうとしてしまいます。

今世界はグローバル化と言って

国境を越えて人々が行き交っています。

でも本当は国境を越えたり無くしたりするよりも

僕たちの頭の中のたくさんの線を無くしたり

見直すことが最優先かもしれません。

僕たちの頭の中の線。

可能性を小さくしてしまう根拠のないもの。

それがすこしづつ減っていって

見えなくなってくれば

ひとりひとりが変わって

戦争もなくなるのかな~

貧困もなくなるのかな。

そう思います。

今僕はビザをとるために

家族と観光がてら

ラオスに来ています。

途上国には必ずストリートチルドレンがいます。

今では先進国にも世間には報道されない

貧困層や経済的弱者と言われる人たちが増えています。

人は生まれや育った環境で人生は決まらない。

 と言います。

その人の過去が影響を与えているのは確かですが

人間にはひとりひとり可能性があり

考え方と行動次第で全ては起こりうる

ということを僕もここ数年で実感しています。

でも、そうは言っても

国境付近で僕たちに花を売る

自分の娘と同じぐらい幼い子供や

道で寝起きしていそうな子たちを見ると

本当にみんなに可能性があるのか?

この子たちは自分たちの可能性に気づかないまま

人生を終えたりしないのか?

過去や育った環境がそのまま

その人の人生を決めちゃうことはたくさんあるはず。

そう思います。

もちろん日本人がいいとか

金があればいいとか

そこの子達が不幸せだ

ということでもありません。

だけどストリートで寝起きしたり

親が誰かわからないとか

ご飯が食べれるかわからないとか

そういうのはやっぱり違う気がします。

「政治が・・・国が・・・」

「自分一人じゃ変えられない・・・」

「難しい話ですね・・・」

と言えるほど簡単な話として

片付けられるものでもないです。

でもそう言っている僕の中にも

確実に差別やコンプレックスがあります。

結局はそういうのが回り回って

世界を創っているんだと思います。

頭の中の境界線。

人種、国、貧富の差、仕事、家族、友達・・・

いろんなところにある

目に見えない線を越えていくことは

これから僕たち”地球人の課題”かもしれません。

『これから地球人Shimojiは何を考えて行動していくか。』

そんなことを

市川先生の話を思い出しながら

ラオスで考え中。

それでは今日も最後まで

観てくれてありがとうございました。

Shimo

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