こんばんは。
昨日は父の誕生日でした。
お互い予定が合わなかったので、直接会ってお祝いを言うのは週末になりそうです。
父の職業は肉屋です。
50歳を超えた今でも朝早くから夜遅くまで働いています。
家族のため、そして何よりも仕事を、肉を愛していて、その生活を何十年も続けています。
頑固で頑張りやです。
職人としては良くもあり、でも家族の中ではたまにその性質が厄介になったり。
でも、そういうところを自分は受け継いでいるんだなと思います。
職業は違えど、同じ職人として父の後を追ってきたのかもしれませんね。
自分が親となった今は、子どもの頃とは違った角度から父を見ることもあります。
でもよく理解できない面はまだまだあります。
自分の人生に良くも悪くも、最も影響力を与えているのは家族です。
そして親を理解することは難しい。
きっと親も子供は難しいと思っています。自分もそうです。
知っているようで知らない。わかっているようでわからない。
親子ってそういうものかもしれません。
よく、「子どもは親を選べないんだ~!!」ってセリフを聞きます。(ドラマやテレビで子どもが親に反抗しているときの一場面)
でも最近それは違うなと思うんです。
それは以前、育児書を読んだときに
「子どもは自分で親を選んで生まれてくる」と書いてあったのを読んだからです。
おいおい。スピリチュアル系か?っと思うかもしれませんが、
自分はこの考え好きです。
よくうまくいかないときに、なんでこの家に生まれてきたんだろうとか、もっとお金持ちの家に生まれたかったなぁとか
一人っ子が良かったなぁとか、逆にお兄ちゃん(お姉ちゃん)、弟妹が欲しかったとか、
理不尽に親に文句や負の感情を抱いたことはないでしょうか?
自分はありました。でも、その度に何か嫌な思いをしていました。
そんな自分はおかしいと思って考えないようにしたりしてました。
でも。もし自分が親を選んで生まれてきていたのだったら、
今の自分はパーフェクト(完璧)です。
そしてなぜこの二人の親を選んだのか?
それがきっと人生の大きな意味というか指針になるのかもしれません。
二人から何を受け継いで自分はどこに進むのか。
今度、母の体に宿る前の自分に会って
「お前(ってかおれ)はなんで母さんから生まれるの?」って聞いてみたい気がします。
でも、それを自分で見つけて成長していくことがきっと人生ってことです。
あと、あなたにも、そして誰でも一つ親から受け継いだものがあります。
それは名前です。
ぼくは小学校で自分の名前の由来を調べる宿題で、初めて意味を知ったときはイマイチよくわかりませんでしたが、
今はいい名前をもらったなと思います。
「地に根を張って生きる」そういう意味が自分の名前『奨』にはあるようです。
親を選び、また、自分の名前を選ぶ親を選んで生まれて来たってことは、
生まれる前からこの名前を気に入って、
『奨』として生きるために生まれてきたのだったら
大木のように地に根を張って生きることは一つ自分のテーマですね。
もはや完全に宗教家です。
シモジ教でも始めるか。いや、怪しすぎですね。ずれ過ぎです。
両親や家族のことに思いを馳せる夜中の2時。
夜ってあれこれ考えてしまいますねー。
そろそろ寝ます。
それではまた。