『夢への一歩を踏み出させてくれた大富豪からの一言〜日本~南米へ編〜』

ただ契約を延長するために、

ただ毎月の給料をもらうために、

ただサッカー選手という肩書きを守るために

練習に行く毎日。

 

そんな”奴隷になった自分”を変えたくて・・・

 

 

大学卒業して3年が過ぎようとしてた2010年。

 

人生最大の夢だった

プロサッカー選手になるという夢を

叶えた僕は

 

 

『J1にいって日本代表になりたいです。』

と表向きには言っていても

 

実際

そんな夢や目標はありませんでした。

 

 

 

未だチーム内で自分のポジションを

確立できず

 

 

それでも

使いやすい交代要員だった僕は

 

試合には出られるけど

自分自身への限界も感じていました。

 

 

『このままなんとなく時間が過ぎて

特に結果やお金も残すことなく

サッカー人生を細く長くやっていくのかな』

 

『いやプロはそんなにあまくない。
1,2年後には若くてフレッシュな大卒の選手がきて

自分は取って代わっちゃうかもしれない』

 

 

そんな

この先に対する不安を感じ

自分を変えなきゃと思いながらも

 

 

”学生の頃から付き合っていた彼女と結婚もして

来年には子供が生まれる。

裕福ではないけどなんとかやっていける”

 

 

そんな生活の中で

”毎月入ってくる30万円の給料”

 

その安定にしがみついていた僕は

 

 

大きく夢や目標を持たず

ただ契約延長と給料を求めて

毎日練習に行き

 

 

まるでロボットか奴隷かのように

監督やチームが求めることを

こなしていました。

 

 

それでいながら

 

”大事に扱われない”

”こんなにやっているのに給料が上がらない”

 

自分の状況を

周りのせいにして

愚痴っていました

 

 

・・・

 

そんなこんなで

3年目が終わろうとしていた

2010年のあるとき

 

 

テレビでカンブリア宮殿に

ソフトバンクの孫さんが出ていました。

 

孫さんは小さい頃

佐賀県の鳥栖市に住んでいて

 

僕が住んでいた

佐賀県鳥栖市田代外町という場所の

 

すぐ近くの川沿いに

孫さんが住んでいた場所があったこともあって

 

僕は何か特別なものを

感じていました。

 

 

番組の中で言った

孫さんの言葉に僕はハッとします。

 

 

自分の夢も明確に持たずに

自分の人生に対するビジョンを持たずに

ただ生きていくために給料をもらいに行く

 

”でも現状それしかしょうがないじゃん”

言っている間に

人生あっという間に終わる

 

”そうは言っても現実はこうだから!

夢物語ばかり語っていてもだめだ!

とりあえず目先の現実を踏まえて!”

そう言っている人ほど

現実の世界から逃れられないまま人生が終わる場合が多い

現実が厳しいからこそ

自分の夢を、

自分の人生に対するビジョンをしっかり持つべきだ。

志高く。

 

・・・

 

 

僕はその言葉が胸に刺さりました。

 

そして

 

サッカー選手として

人生で自分は何をしたいのか。考え始めました。

 

 

・・・

 

その当時僕は

同じチームでもプレーした

あるブラジル人選手に憧れていて

 

ああいう選手になりたいと

思っていました。

 

 

彼がいることで

チームが一つになり

 

彼が蹴るボールには

意志が込められているかのように

 

チームの選手同志を

繋いでいく感覚が

僕は大好きでした。

 

 

そして

自分がサッカーを始めた理由も

キャプテン翼を見たことがきっかけで

 

南米という場所や選手に

憧れと特別な感覚をずっと持っていました。

 

 

孫さんの言葉から

子供の頃の純粋な

サッカーに対する夢を思い出し

 

”ああいう選手になりたい!”という気持ち

”南米に行きたい”という想いが

出てきました。

 

でも同時に

 

”何考えてるんだ!結婚してるだろ!”

”来年子供が生まれるし今の生活が・・・”

 

と正当な諦める理由を

並べる自分がいました。

 

 

でも孫さんの言葉が

ズシンッと心に響いた僕は

 

 

『”ただ毎月給料をもらうため”に

”ただサッカー選手という肩書きを守るため”に

毎日練習に行く自分とそんな人生を変えよう』

決心しました。

 

 

 

僕は奥さんに

南米に行くことを告げました。

 

 

奥さんは僕が

ずっとうだうだしていたのを見ていたので

オッケーしてくれました。

 

 

そして

当時所属していた

チームとの契約延長を断り

 

 

僕は南米・パラグアイに行くことを決めました。

 

 

・・・

 

翌年2011年2

娘が生まれました。

 

パラグアイ出発の1ヶ月前でした。

 

月30万円の安定がなくなり

不安はかなりありましたが

 

それよりも

南米でプレーするという

夢に対するワクワクの方が

勝っていました。

 

 

そして

 

2011年3月

僕はパラグアイにいました。

 

 

日本の反対側。

 

 

小さい頃から憧れていた

南米の地に立った。

 

それだけで気分は最高でした。

 

 

でも

 

 

正直な話をします。

 

 

僕は夢を追っている

フリをしていました。

 

 

・・・続く

 

 

【日本〜南米へ編(終)】

 

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