『お金が全てじゃない。”ということはない”〜夢を追って金を失くしてわかったこと〜』

念願のブラジルでの契約の直後、

就労ビザが下りず無給の練習生に・・・

 

2011年7月

ブラジルに来て1ヶ月。

家族とも無事合流して

 

ジョズエ(トス時代のチームメイト)の

助けも借りて

 

サンパウロにある

リネンセというチームとの契約に

なんとかこぎつけました。

 

契約書にサインし

記者発表もして

いよいよ試合と思った矢先でした。

 

 

就労ビザが下りず

リーグ登録期間に

間に合いませんでした。

 

 

そもそも

外国人を雇う必要のない

サッカー王国ブラジルでは

 

 

トップクラブ以外の小さなクラブは

外国人選手の労働ビザの

取得方法がわからないことが普通で

 

 

クラブの人たちは

いろいろやってくれたけど

結局登録には至りませんでした。

 

 

書類提出期限の最終日。

 

 

郵便局が閉まる5時までに

送らなきゃいけない書類が

 

5時5分に手元に届いたときは

 

『こんなことがあるのか・・・』

 

と思いました。

 

 

・・・

 

 

契約はなくなりました。

 

 

登録期間が終わったので

他のチームに行くこともできず。

 

 

クラブの計らいで

 

チームの練習には入れて

その次の年の契約を目指す。ということになりました。

 

 

夢よりも現実

金が底をつき借金して暮らす毎日

 

家族3人異国での生活。

 

あてにしていた給料がなくなり

貯金は底をつきました。

 

 

日本にいる家族から借金をして

ATMから引き出すという

カツカツの生活。

 

”夢へのチャレンジ”

 

とは言っていられない現実を

見ざるをえなくなりました。

 

 

 

『お金がすべてじゃない』

『お金よりも夢が大事だ』

  ”ということではない”と気づいた

 

毎日練習だけだったけど。

それはそれで楽しかったです。

 

ブラジルのサッカーを

体感できたことだけはよかった、と思いました。

 

 

だけど

 

 

『夢を叶えたからって、なになるんだ。』

 

そう思い始めている

自分もいました。

 

”夢は大事かもしれないけど、現実お金も大事”

”そもそも夢とお金は別物だから、比べるものじゃない”

 

そんな単純なことを

改めて知りました。

 

 

 

”夢にすがる”

それだけが心の支え

しょぼい自分を痛感した毎日

 

その当時、

遠く日本では

僕が所属していたサガン鳥栖は

 

J1昇格に向かって

快進撃を続けていました。

 

 

僕がいなくなったチームの躍進と

元チームメイトの活躍を

 

心から喜べないどころか

嫉妬し負けて欲しいと願う自分。

 

 

彼らとは反対に

夢を追って出たはいいけど

 

サッカーも

男としても

父親としても

 

何一つまともにできない自分。

 

 

もがいてもがいて

苦しいのに何も変えられない無力さ。

 

 

自分も家族も。

誰も幸せにならない夢と

無給でただボールを蹴る毎日の中で

 

自分が始めた夢ですら

どうでもよくなっていきました。

 

『なんとかする』

『なんとかなる』としか

家族に言えない自分。

 

 

一人歩いていた練習の帰り

 

 

『おれは何をやってるんだろう・・・』

 

孤独と不安と

家族に対する罪悪感から

涙が止まらなくなりました。

 

 

それでも

 

”自分は南米でプロとして活躍するんだ”

という

夢にすがることだけが

 僕の唯一の支えでした。

 

 

”挑戦していることで

自分がすごいと思われたい”

 

”すごい自分になりたい”

”ここで一発逆転!”

 

と心の深くで思っていた僕は

その結果

 

何もできませんでした。

 

パラグアイ・ブラジルで

嫌というほど

 

そんな”しょぼい自分””甘い自分”を

感じ続けた

 

南米挑戦の1年目が終わるころ

 

 

”このままでは終われない”

”なんとかそんなしょぼい自分と現実を変えたい”

 

 

その思いが日に日に

高まっていきました。。。続く

 

『南米・ブラジル編1年目』(終)

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