『ノルウェーの凍った道路で老人が転んでも自分のせい』
『遠くアフリカの飢餓の子供が死んでも自分のせい』
『アジアのどこかでレイプされている少女がいても自分のせい』
・・・
『そうやって世界を想い生きること。
世界や人類にとっていいことを考えたり発明する。
それが人生であり僕たちがする仕事です。』
最近
師匠の師匠に教わった
新しい考え方の一つです。
最初は
あまりに空想過ぎて
現実味がわきませんでした。
『そんなん自分のせいじゃないよ』
『おれにはできないよ』
そう限界を感じた自分もいました。
でも
今日で僕は
32歳になりました。
『何をそんな綺麗事を』
『そんな偽善でしょ』
『金持っているからそういうこと言えるんだ』
そう思う自分を
押しのけて
もう一歩踏み出して
大きくなっていこうと思います。
でもこれって
結構大事な考え方。
いろんな
サッカー選手を観てきましたが
すごい選手は
さすがに
そこまでいかなくても
自分や自分の家族だけでなく
自分の国の子供たちや
次世代のこと
もっと大きく
世界のいろんなことを
考えている人が多い。
・・・
『その人の器に見合ったプレーになる』
というのが僕の
サッカー選手論ですが。
そうやって
大きく考えている人は
やっぱりプレーとか
結果だけでなく
影響力も大きいです。
例えば
今札幌でプレーしている
ジェイ(チャナティップ)も
彼が描いた夢は
その当時タイでは誰も考えてもみなかったこと。
でもそうやって
大きく描いて実現させて
いまではタイの国の人々や
今後のサッカー界のことを考えて
プレーし始めているんだ
と思います。
彼が代表で国を背負って
プレーするとき
そのプレーは観るものを
魅了します。
同じような
むしろ
それ以上の凄みが
最近彼からは感じています。
おそらく
進化したんだと思います。
『羨ましい。』笑
・・・・
そういう意味で
僕はまだまだ子供でした。
正直言うと
『現状でいい』
『自分だけでいい』
そう思うこともあります。
よくあります。
『今のままでいいじゃん』
『それで幸せじゃん』
確かにそうです。
僕は幸せです。
食べるものも家も
服もすべてあります。
でも
実は見えていないだけで
世界中には
いや日本でも
今は
家や
服やご飯や
安心して暮らせる環境がない
子供が増えています。
こんだけ豊かな世界なのに。
お金は増えているのに。
そう思うと
『自分だけよければいいのか』
とやっぱり思ってしまいます。
パラグアイでも
ブラジルでも
タイでも
ストリートチルドレンを見る度に
夜コンクリートの上で
そのまま寝ている
自分の娘と同じぐらいの子供を
見る度に思います。
でも
『今の自分は何もできない。そのうち。』
『自分にはそんな力はない。とりあえず目先の生活でいっぱいいっぱい。』
という価値観に縛られて
楽な方へ逃げてしまいます。
『自分は無力』という
間違って植えつけられてしまった
セルフイメージが壁になります。
でもそうやって
いいわけを続けてきた僕は
自分勝手ですね、やっぱり。。。
ただの偽善ではなく
金があるとかないとかに関係なく
自分の生活がどうこうじゃなく
そうやって
意識を持つだけで
仕事の中身も変わってきます。
・・・例えば
このボールの一蹴りが
この一試合が
その日試合を観ていた
少年少女に
夢を持たすことができるかもしれない。
それができたら
その子たちは
明日に希望を持って
苦しくても
生きていけるかもしれない。
もし負けたとしても
その試合を最高の試合にして
その最高の敗者でいれるなら
選手として
グラウンドに立つことの意味は
計り知れないし
僕たちの蹴る
ボールの一球一球には
すごい力がある。
そう想って
ひとつひとつやっていく先に
その子たちもまた
次の世代に
夢とかもっといい社会とかを
創っていくかもしれない。
そう想うと
無力だと持っていた自分の
可能性は無限大に広がっていく。
世界中の子供達が
安心して暮らせる生活を
想ってボールを蹴る
少し理想が
過ぎるかもしれないし
綺麗事かもしれないけど
そういう
サッカーがあってもいいし
そろそろ
そういうサッカーが
子供達の未来を築いたり
夢を実現していく人になるための
道具になっていくべきなんだと
思います。
理想は遥か遠い。
できるかわからない。
でも
それぐらいでちょうどいい。
それに
僕の欲求は
進化していくこと。
どうせ生きるなら
自分を極限まで進化
させていきたい。
それで
周りの人に
迷惑かけるかもしれないけど
究極の自己満足の
そのずっと先に
結果、
家族や大事な人たちに
もっといいことをしていくことができると
僕は信じています。
信じた夢は叶います。
それでは今日も
最後まで観てくれてありがとうございました。
Happy Birthday To Me ~愛・感謝😊🙏~