日本のフットサル界を牽引してきた
“無冠の帝王”ペスカドーラ町田が
全日本選手権で初優勝しました。
なぜ”無冠の帝王”かというと
1999年にCASCAVEL TOKYO(カスカベウ トウキョウ)という
現ペスカドーラ町田の前身のチームが発足しました。
当時最強だったカスカヴェウの選手は
ほとんどが日本代表選手でした。
まさにドリームチーム。
日本の大会で数々の栄冠を手にしてきました。
そして
2007年にペスカドーラ町田と改称して
Fリーグに参戦しましたが
毎年、国内唯一のプロチームである
”絶対王者”名古屋オーシャンズの前に
”絶対王者”名古屋オーシャンズの前に
ずっと悔しい思いをしてきました。
フットサル界を牽引してきた存在でありながら
Fリーグ発足後はタイトルから遠ざかっていたのです。
そして 先週日曜日、
2007年の改称以来 念願の初のタイトルを獲りました。
絶対王者として王座に君臨してきた
名古屋オーシャンズを
打ち合いの末に制しての優勝は
フットサルファンだけじゃなく
観る人を感動させるものでした。
なぜ今日フットサルの話を しているかというと
僕とフットサル、
そしてペスカドーラ町田は 結構深い関係にあるからなんです。
実は僕の兄が
あのペスカのNo.9
”横江怜(レオ)”なんです。
日本代表Fリーグ初代得点王 ペスカドーラを引っ張ってきたレオ。
『でも、兄ちゃんって名字違うじゃん。』
そうです。実は腹違いの兄なんです。
っていうのは嘘で^^;
彼は僕の姉ちゃんの旦那さん。
そう、義理の兄ちゃんなんです。
チームの中心として
苦しい時ももがきながら
常にみんなの前に立って
チームを引っ張ってきたレオが
決勝戦のファーストゴールを決め
チームを勝利に導きました。
フットサルはサッカーと似ていることから
よく比較されますが
正直サッカーと違って
プレーヤーにとっての環境は
全然良くありません。
それは家族として
少し普通の人より近くで見ているので
よく感じます。
選手として上を
目指していきながらも
家族を養っていかなければならない。
その両立は
肉体的にも精神的にも
簡単なものではないと思います。
おそらく
恵まれているサッカー選手には
わからないことだと思います。
ほとんどの選手は
練習以外の時間に別の仕事をしています。
プロとして給料をもらいながら
プレーしている選手は多くありません。
現にプロチームは名古屋オーシャンズだけ。
その中でも上を目指し
同時に家族を養いながら
自分がこれと決めた道を進んでいく姿は
同じアスリートとしても
一人の男としても尊敬します。
レオは個人で結果を出しながらも
チームとして結果が出ないジレンマを抱えながら
競技だけではなく
仕事をしながら
時にはケガに苦しみ
悩み抜いてきた末に
この勝利を手にしました。
やはりすごいと思います。
しかも 相手はあの”絶対王者”
・・・
レオのゴール
そして
優勝の瞬間。
ハイライトしか見ていない僕も
感動して涙が出そうになるのをこらえました。
思えば
僕がまだ小学6年生の頃、
通っていたフットサル教室は
フットサル界の人なら知っている
伝説のチーム『Azul』の”広山晴士”が 開催していました。
そこには 若かりし”甲斐修侍”も遊びに来ていて
小学生ながらにあの左足を生で見て
憧れて練習していました。
プロフットサルがなかった時代。
僕はプロサッカー選手になるのを
夢見ていました。
そして
いまプロ選手として
サッカーしています。
だけど
僕のサッカー選手としてのDNAの中には
小さい時に憧れた ”広山晴士”や”甲斐脩侍”のフットサルの血が
流れていると思います。
だからこそ
日本のフットサルがより多くの人に
見てもらえるようになってほしいと思います。
そしたら日本のサッカーは強くなる。
だけどそれよりも大事なのは
フットサルがサッカーの副産物ではなく
全く別物の一つのスポーツとして
日本のスポーツ界で輝くこと。
より多くの人に認めてもらい
賞賛してもらい
子供達の夢の職業の一つになること
それが大事だと思います。
いまはまだ
「フットサルってミニサッカーでしょ?」
みたいなイメージがあって
フットサル選手に対して
『サッカー選手になれないから フットサルやってるんでしょ』 って
思っている人も多いです。
だけど正直ムカつきます。
そんな気持ちでできるほど甘くないよ。