『お前は鰈だ。泥にまみれろよ。』(前半)

今朝起きがけに
“ビッグジュン”が語りかけてきました。

最近また、

というか
よく思い悩んでいると
 
 
朝一で
言葉が降ってくるときがあるのですが、 

今日はなぜか

”ビッグジュン”こと魚住純

・・・
 

僕のサッカーは
小学校の弱小クラブからはじまりました。
 

いつも土にまみれながら
擦り傷を作りながら
ボールを追いかけてきました。
 

そのチームには
いろんな友達がいました。
 

できる子も
できない子も
 

運動神経のいい子も
運動が苦手な子も
いじめっ子も
泣き虫もいて
 

毎回三回戦ぐらいで負けてしまうような
優勝とは縁のない凸凹チームでした。
 

人一倍負けず嫌いだったぼくは

 

『なんでもっと練習しないんだ』
『勝ちたくないのか!』
 

と暴言を吐いてしまって
浮いてしまう”ゴリ”タイプ。

プロになりたいと思っていた僕は
とにかくうまくなりたい。
勝ちたい。
そう思ってプレーしていました。
 

だけど
その弱小チームで
自分にとってのサッカーの本質が
出来上がりました。
 

それは
ただ上手くなって嬉しいとか
点を取ったときに嬉しいではなく
 

穴だらけの弱小チームが
強豪チームに挑む時に発揮される一体感です。
 

これが僕のサッカーの原点。

 
僕のサッカーの喜びの
本質なんだと思います。

 
あの当時
強い相手と戦う時
一人の力ではどうにもならない状況になると

上手い下手は関係なくなって
自分が上手くできるかも
自分が点を取れるかどうかも関係なくなります。
 

”一番上手い自分”とか
”一番頑張ってきた自分”っていうこだわりもなくなって
無心になれると
 

友達の力を引き出せたり
なぜか
自分の力もいつも以上に出たり

不思議なことが起こりました。

 

その不思議な体験。

損得を超えて
泥にまみれながら
みんなとつながる一体感が
僕のサッカーの本質になりました。
 
 

だけど
プロになり
日々競争社会の中で
生き残るために

技を磨き
自分の弱い部分と向き合い
勝つための何かを見つけ得ようとしていくと

あまりに自分のことや
勝つことだけを考えすぎてしまって

結果
行き着くのは
勝つために

”いかにスマートに”
”いかに賢く”・・・

ということ。
 

そうすると
上手く相手を崩す方法とか
戦術のことが少しわかるようになって
うまくなるんだけど

つい
頭でっかちになって
自分が正しいと思ってしまいます。
 

そするとだんだん
周りに不満を持つようになって

『なんでもっと上を目指さないんだ』
『なんでもっとやらないんだ』

と横柄な独りよがりになってしまいます。

スラダン的に言うと

”全国制覇を強要して
一緒にプレーするのが息苦しいゴリ状態”です。

・・・・・後半へ

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