Everything is made from a dream

アヤさんオススメの屋台に

お昼ごはんを買いに行ってきました。

 

 

アヤさんとはタイの家政婦さんのこと。

去年から家でお世話になっています。

 

日本人の駐在さん家庭で

長年働かれているベテランのポンさん。

 

8ヶ月の娘もなついていて

家族の一員のようで

いつもお世話になっています。。

 

炎天下の中歩いて5分。

ポンさんお気に入りのタイ料理をテイクアウト。

こんだけ食べて190バーツ。
(✴︎約600円)
アロイ(うまい)です。

 

・・・

 

タイに来て4年が過ぎました。

 

 

経済発展の中

街の近代化や再開発の裏で

タイの屋台がどんどん消えていっています。

 

 

近代化やグローバル化、

ロボット化の波。

 

 

巨大資本の流入や

大型ショッピングモールの出店で

便利になっていく一方で

 

 

小型店舗や個人商店はなくなっていきます。

 

 

時代の流れの中で

街だけでなく

僕個人としても大きく変わってきました。

 

 

すべてのことは一つの夢から始まっていると。

 

僕もそう思います。

僕の人生も誰かの人生も

 

意識的か無意識的にか

描いた未来に向かって動き始めます。

 

街も人も

どんなものでも

小さな夢から始まっていると

言えるかもしれません。

 

 

僕が育った町も

僕たち人間が描いた豊かになるという夢のおかげで

便利さや綺麗さを手に入れ

 

それと引き換えに

いつもあそこにある・いる店や人

 

 

そういうものが失っていって

人もモノも入れ替わりが激しくなって

つながりは薄くなって

”僕らの街”は消えていきました。

 

 

タイにも新しく

”同じような街”ができあがってきていて

そのおかげで

超便利になっていっています。

 

 

ただ、そうして

”帰れる場所”

”不便でも安心できた場所”がなくなれば

 

 

僕たちの心は拠り所をなくして

どんどん弱くなっていきます。

 

安心がなくなれば

些細なことで苛立ち

すぐに権利を主張して訴える

『被害者意識』に

コントロールされてしまいます。

 

 

『なんでだろう。』

『なんでこんなことにイライラしてるんだろう。』

 

 

自分でも嫌になる程

他人やちょっとした

不手際に腹を立ててしまいます。

 

 

権利を求めることは裏返せば

『全ては足りない』という意識の表れで

 

それが引き金となって

チャンスや可能性は

どんどん見えなくなっていきます。

 

 

残念な世界や

うまくいかない現実ばかりを引き寄せ

人のせいにする悪循環が始まります。

 

 

 

拠り所がなくなった僕たちは

最後は強く大きなものに

流されていきます。

 

 

 

トランプが選ばれ

イギリスが独立し

『自分の国だけよければ他所はどうでもいい。むしろ敵だ』的な発想が

広まっていくのもその一つです。

 

 

『自分の子だけよければいい』

『自分さえよければいい』

 

そう思ってしまうのを時代のせいしては

いけないかもしれないけど

それもしょうがないことなのかもしれません。

 

 

サッカーもグローバル化は

いち早く進んでいて

ほとんどの選手は商品のように扱われています。

 

 

一瞬『自分は超貴重で大事にされている存在』だと思える時もあれば

明日になれば『自分は、すぐ取り替え可能な存在』になっていて

 

 

昔の栄光にすがって

もう一度それを味わいたいと思うと苦しくなって

 

 

でも、そういう逆境でも奮い立たせて

心の底からサッカーと向き合って

自分を乗り越えていく作業はたまらなく愉しいんです。

 

 

そこから生み出されるプレーは

どんな専門家の言葉も意味を持たない芸術だと

格好つけていいますけど

僕はそう思います。

 

 

商業化されたスポーツでは

誰かが選手を数値やデータで

判断するようになりました。

 

 

それだけでは見えない世界を

見なくなったら

スポーツ本来の芸術性や神聖さは

失われていくと思います。

 

 

チームを背負って

街を背負って戦いたいという理想。

ずっと同じチームでプレーしたいという理想や自己重要感を

選手は少なからず持っています。

 

 

背負って戦ったとは言えるほどの

結果を残せなかったとしても

心のよりどころをチームに期待してしまいます。

 

 

でもこの先そういうのは

時代錯誤でもっとドライに対応しなければ

ならなくなっていくかもしれません。

 

 

入れ替え可能な世界では

損得感情で動いて

誰かのせいにしたり

責任を取らない人や選手も増えています。

 

 

 

悲観的になっているわけではありませんが

僕が真面目にいうと暗くなってしまいそうなので

この辺までで止めます。。。笑

 

 

嘆いていても好転しませんよね。

って嘆いているわけでは

ありません。

 

僕は前向きです。

 

 

要は僕たちにはグローバル化を止めることも

便利になっていく中で

街の屋台や駄菓子屋さんを残すこともできません。

 

 

それに抗うのも何か違うと思うし

『昔は良かったのに』と言って生きた先には

死に際で後悔をするだけだと思うし

そんなみっともない自分を考えたくありません。

 

 

・・・

 

『進化していれば安全』

最近よく思います。

 

 

いい状況でも悪い状況でも

”成長”ではなく”進化”できるか。

 

『進化とはこれまでとは全く違う価値観を受け入れること』

 

進化とはつまり

 

今までの自分を超えていくということです。

 

 

あるいは常識を疑うことと言えるかもしれません。

 

 

僕は今大きな流れの中で

このままいけば引退という状況です。

 

 

いろいろな経緯や考えがあっての現状ですが

(その話はまた時間がある時にお話できればと思います。)

 

 

ふと一つの節目で

終わりが近づいているのを感じると

 

寂しいし不安になります。

 

 

でもそんな時が

進化のタイミングだと

サッカーから僕は学んできました。

 

 

 

いつも望まない結果が出た時は

 

 

今までの自分の考えや

これまでとは違う習慣にこそ

進むべき道が隠されていました。

 

 

『狂気とは即ち、同じことを繰り返し行い、違う結果を期待すること』と

 

 

昔の偉い人が言った言葉を

今僕は噛み締めています。

 

 

 

だからこそ

もう一度夢を描こうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

25年前サッカーを始めたころ

僕はボールもまともに蹴れませんでした。

 

 

でも

プロになりたいと願ったときから

とにかく信じて

 

 

僕なりの最短距離で

夢を叶えてきました。

 

 

でもまだまだ

描き続けたい未来や夢があります。

 

 

 

 

 

物質的に豊かになっていくタイの街の中で

たくさんの人の夢と高揚感を感じながら

 

 

そして

昔ながらの人のつながりを見て

ほっと安心しながら

 

 

今までの自分とこれからの自分を

頭の中でクロスさせています。

 

 

また報告します。

 

 

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