『No.1にならなくてもいい。もともと特別なオンリー1。』
僕はこの歌詞が大嫌いでした。
『こんなのきれい事で嘘だ。実際No.1が全てじゃん。』
競争社会で育ってきたからか
オンリー1という言葉に対して
理由もわからず過剰反応していました。
こんにちは。
劣等感持ちのShimojiです。
そう。
ぼくはずっとNo.1を目指してきました。
それはサッカーに限らず
人生のあらゆる場面でそうだったように思います。
『No.1こそオンリー1なはずだ。』と思っていました。
・・・
【No.1】
優勝、MVP、一位、学年成績トップ、チームで一番、体力テスト一番
姉弟で一番、バレンタインのチョコの数一番・・・・
でも、どのNo.1にもなったことは
ありませんでした。
こんなに長くやっているサッカーですら
チャンピオンになったことがありませんでした。
決勝まで行ってもいつも準優勝。
実は、優勝したことはありましたが
それも試合には出られず
不完全燃焼。
結局優勝やNo.1、大舞台というものに
縁のない選手でした。
No.1という特別な存在に憧れていて
それをずっと追っては来たけど
結局何もつかめませんでした。
努力をして自分をとことん追い込み
競争の中でなんとか勝とう、
結果を出そうとするけれども
目立った結果は出せませんでした。
そしてそんな自分が嫌でした。
でも、ふと
『なんで自分は一番を求めてきたんだろうか』
と考えてみると
そこには
『自分は特別でいなきゃいけない』
というプレッシャーがありました。
その思いの裏には
【おれは特別じゃないし大したことない。そんなに価値はない。】という
自信のない自分がいました。
『自分は特別じゃない。
だから一番になって特別な存在にならないと価値がない』
心の深い部分に
自分に対する自信のなさや不安がありました。
そしてそれを
見たり感じないようにするために、(そのほうが楽だから)
あるいは
『劣等感の塊で周りを敵だとおもってしまう嫌な自分』
を周りに悟られないために
ぼくは【結果】にこだわり続けてきたんだと思います。
No.1になりさえすれば
『誰にも文句を言われない。みんなに認めてもらえる。
もう競争しなくてもいい。』
No.1になりさえすれば
『楽になれる。
自分の存在を認めて堂々と自信が持てるようになる。』
そんな思いがありました。
でも
結局僕が求めてきた『結果』や『No.1』というのは
『他人からの評価』でした。
だから、たまに結果を出したとしても
自分に対する不安、自信のなさは解消されることはありませんでした。
・・・
ぼくはこの一ヶ月半。
カップ戦の決勝戦までの間。
もう一度自分自身と向き合ってきました。
それはこのチャンスに
【優勝できない自分】を変えたかったし
【大したことなくて、できなかった過去の自分】を
超えたかったからです。
『なんで優勝したいのか』
『おれは優勝できるのか』
『おれはそういう舞台に立てる選手なのか』
という自問に始まり
『じゃあそもそもなんで勝ちたいの?』とか
『そもそもなんでサッカーやってるんだろう』
という根本的な話。
『というか、サッカー選手Sho Shimojiは
どういう選手でありたいの?』
『もっといえば下地奨というひとりの人間としてどうありたいのか』
一見全く決勝戦とは関係ないようなところまで
突き詰めていくことになりました。
そして
『優勝するにはどうするか』を
考えて行き着いた答えは
【優勝する人になる】でした。
つまり
優勝するに値する人になれるかどうか。
ということはどういうことか?
それは
サッカー選手Sho Shimojiとしての在り方が
試されるということです。
・選手としてのビジョンを持っているか
・大事な試合とか練習試合とかに関係なく
一つ一つの試合で勝つ選手であるのか
・毎日の練習で自分を越えようとする人であるのか
・ひとつひとつのプレーにこだわって
常に改良を重ねていこうとする人であるのか
技術や戦術だけではない
ごまかしの効かない在り方を追求していくことだと思いました。
それは周りの評価に左右されないということです。
たとえそれで勝利を逃したとしても
周りの評価をもとめているよりはマシだと思いました。
いや。正直負けるつもりもありませんでした。
・・・
『そうなんですね。じゃ優勝したってことは
Shimojiさんはその問題が全て解決して悟ったんですね。』
と思われるかもしれませんが
全く違います。
『優勝すれば~と思っていた』『~』のすべては幻想でした。
それにどの質問にもはっきりとした答えはまだ出ていません。
むしろ答えにはっきりした正解があるとは思えません。
もしかしたらその答えも
時間が経てば変わっていくことなのかもしれません。
実際今でも自分の中で毎日変化しているし・・・
ただ少なくとも
今までのように闇雲に『No.1』を追っていくことは
なくなっていくと思います。
劣等感の自分を満足させるために上を目指したり
認められたいという一心で競争するということも
減っていくと思います。
もちろん
『認められたい』という欲求や
『自分ってこれでいいの?』っていう不安は消えません。
だけどそれもうまく使って行こうと思います。
結局はサッカー選手としてどうあるか。
ひとりの人間としてどうあるのか。
そこを大事にしていきたいと思います。
人と比べることがあったとしても
自分を大事にするというベースに戻っていきたいと思います。
それは自分を甘やかすことでも、
周りの評価に自分の価値を求めることでもなく、
『こうありたい』っていう自分を基準に生きていきたいし、
そういう選手であるからこそ
光るプレーが出てくるんじゃないか。
そう思います。
ロベルトバッジォ、ラモス、カズ、ストイコビッチ・・・
そして
海外に飛び出して出会った
ブルーノ・クアドロス、シジクレイ、そして岩政大樹。
僕が憧れ、こういう選手になりたいと思った選手はみんな
そこの在り方という部分
もっと言えば生き方みたいなところを大事にしているように感じます。
そして
見る人を感動させて、しかも
チャンピオンになる人達というのは選手としてだけでなく
ひとりの男としても
男から見ても格好良いなと惚れてしまう人たちばかりです。
『えっ。Shimojiさんって・・・』
『いえ。ぼくは女好きです。』
ってどうでもいいですね。
選手として、人として、
格好良いなと思える
そんな選手でありたいなと思う
今日この頃です。
決勝戦の様子はこちらから
【TOYOTA LEAGUE CUP FINAL2014 Buriram×BEC Tero Sasana】
⇒http://youtu.be/q8a9JtgCoxs
それでは今日もあなたの貴重な時間を使って
最後まで読んでくれてありがとうございました。
Shimo