なぜこれから日本人が活躍する時代に入るのか・・・ガイア理論とルカ・モドリッチの受賞から見る今後のトレンド

こんにちはShimojiです。 

 
今日はなぜこれからの時代日本人が重宝され
活躍する時代になっていくのかという
 

ここ最近サッカーをしていて気付いた

世界的なトレンドとガイア的な怪しい話も
含めて書いていきます。 

さて、先週の試合
1点ビハインドの場面で
ゴールを決めました。

その後チームは逆転し勝利し
僕はその試合の
マンオブザマッチと

その節の
ベストイレブンに選ばれました。 

嬉しいです。

ゴールの感覚、これは
表現しづらいのですが

欧米選手の感覚でいえば
神と繋がった感じ
 
タイ人選手的にいうと
仏様のお陰

スピリチュアル的にいうと
宇宙と繋がった感じ

科学的にいうと
物理次元でエネルギーや物質を構成する粒子の波動が
ゴールという現象を現実化させたという感じでしょうか。
(あってるかな?笑)

 
はい。
完全怪しいですが
 

 

あらゆる角度から
サッカーを捉えているShimojiとしては
そんな感じです。笑

そのゴールと勝利後に来る
みんなとの一体感。
 
試合後のファンと喜びや
ともに戦ったことを称え合う感覚。 

サッカーをやっていて
一番の醍醐味です。 

誇らしいです。 

でも正直言うと
しらけた自分がいるのも
感じています。 

しらけているのは
個人的に賞賛されることについて、と

その賞賛する評価基準が
”ゴール”という目に見える結果だけしか見ていない。 
ということです。 

僕は
『サッカーはそういうものだけじゃない』と
小さい頃から感じてきました。

どういうことかというと

先週の試合、勝ちましたが

その試合を決めたプレーや
流れを変えたプレー、

それを
引き寄せた選手というのは
僕以外にもいるし

ゴールだけがクローズアップされる
ということに納得いかない。
ということです。 

とはいえそれは

『たまたまゴールを決めて
勝ったから調子に乗っている
Shimojiの傲慢さなのでしょうか?』と
思われるかもしれません。

確かに
サッカーはゴールを決め
勝敗が決するスポーツで

それが全てといえばそうです。

スポーツには
エンターテイメントという面があり
経済が大きく絡むので

そういう評価があって
成り立つ世界でもあります。 

現に一番
お金をもらっているサッカー選手は
クリスティアーノであり
リオネルであり

どのチームでも高給取りは
FWです。 

彼らはゴールを目に見える桁違いの数で
量産し続け
勝利を生み出し続けています。

彼らのゴールや勝利が
観る人や世界中の人たちに感動と
生きる活力を与えてくれるし

次の世代の子どもたちだけでなく
僕のようなサッカー選手にも
進む道を示してくれるので

やっぱり
ゴールと勝利は
間違いなく重要で
とてつもなく貴重なことは間違いありません。 

そして評価がある以上その基準は
目に見える数字であることは
しょうがないことでしょう。 

 

その前提はあっての話ですが 

でも
それはサッカーを
欧米文化の

”目標達成型の思考”という一面でしか観ていない
ということだと思います。 

目標達成型の思考は

勝ったか負けたか
出来たかできなかったかの成否
上か下か
一番かその他大勢か
いいか悪いかといった二元性の世界です。 

でももともと日本人は
目標達成型ではありません。 

島国という環境もあると思いますが
どちらかというと

陰と陽を組み合わせた
和が基本です。 

日本の古来の武術である合気道に
試合というものがなかったそうですが

勝敗を決するのが
スポーツという欧米由来の概念だとすると

確かに勝敗は決するけど
お互いの気を合わせ
お互いを高め合うという 

現代の僕たちには
理解シズらいですが

お互いの精神性を高めたり
心を豊かにするツールとして
体を動かすという概念が日本由来です。 

そういうものが日本人のDNAには
あるのだと思います。 

だからこそ日本人は
剣道や柔道、
花道に書道

というように何かにつけて
道を説いていくことを
しました。  

結果ではなくその先にある
あるいはその過程にあるものを

今この瞬間い繋がることでもあると思うのですが

目標を決めるのではなく
今この時の中でいきていくことで
己を高めまた

そうすると同時に道は開いていく
 

と、うまく説明できませんが
そんな感じです。

目標達成型が個人の”夢”を
実現することに集中するのに対して

日本人の場合は
より多くの人や社会が良くなる”志”を実現する
ことに集中する。 

自分という枠が少し大きい。
またその期間も
自分の世代だけよければいいというよりも
 

次世代につなげるという意識
だと思います。 
 

目標を達成しようとすると
他者との競争が始まります。  
 

逆に

道を切り拓こうとする時
他者の存在は自分を高めてくれる存在であり
感謝すべき相手になり
倒すべき敵ではなくなります。 

そういった
”自分”という個人ではなく
もう少し大きな範囲で捉えることができるのも
日本人の特性です。 

ただこれは現代ではまだ
ネガティブな要素で
ハンデになります。

なぜなら欧米文化の評価基準が先行しているので
結果(数字)を出したもの勝ちだからです。

でもそれもそのうち変わっていくでしょう。 

現代ではかなり科学が進んで
量子物理学の世界では
エネルギーや粒子の研究分析が進んでいます。

そのうち選手のエネルギー値を
スカウターのようなもので観れる時代が
訪れるかもしれません。 

今はGPSの走行距離や
パスの本数やミスの回数
スプリント本数などが計測され
選手の査定は目に見える数値でされていますが

そのうちエネルギー値で
”存在感がどれだけチームに影響を与えているか”を
測れる時代が来るのだと思います。 

そうすると
何が起こるかというと
 

チームに力を与え
周りの選手のエネルギー値を上げ
パフォーマンスを引き出している
縁の下の力持ちがフォーカスされる時代に入ります。 

こうなるとサッカー界における
日本人の需要は多くなります。 

これは精神性を重んじ
より周りを見れる日本人の得意分野です。 

それはデータ的にも
海外で活躍している日本人は
生粋の点取り屋というよりも

1,5列目か
中盤の底
センターバックなどのポジションで

チームを繋げる役割です。 

こういう選手は地味ですが
サッカーに詳しい人たちから
すごく高い評価を得ている人や

長年所属することでファンから
応援される選手たちです。 

点取り屋ほどの一発のインパクトは
ないものの

”あいつがいると違うよね”
”あいつがいるとうまくまわるしなぜか勝っちゃうよね”
というのが 

日本人のもつ特異性と強みだと
僕は思います。 

これは現段階では数値化できないけれども
今後世界で重要視されていくものです。 

良くも悪くも
欧米文化に馴染めない
日本人の特性が活きていくということです。 

『日本人がゴールを決めに行くことが
できない』のは

 
欧米流のメンタルがないのが原因と
言われたりしますが

逆に日本人が
欧米の文化や価値観を取り入れすぎたら
日本人の価値もなくなるし

欧米選手の生きる道も
奪ってしまいます。

日本人は陰と陽の融合がうまいので
チーム内でバランスを取り

陰だけでも
陽だけでもない
新しい価値を生み出すのが得意です。 

日本人は日本人の良さが
生かされていくはずです。 

 
そして
これからはさらに
完全スピリチュアル系の話ですので
”しんあな”(信じるか信じないかはあなた次第)ですが

ガイア理論というものがあります。 

これは人類の最古の文明
シュメール文明が発祥した
現・イラクから

800年周期で
文明が東回りと西回りで
22,5度ずつ推移するというものです。  
 

そして1995年からちょうど
東経135度の日本の子午線
明石・淡路島~丹波篠山地方へ
次の文明が移りました。 

それまでは
イギリス発祥のアングロサクソン文化
だったので
資本主義社会、言語も英語が主になった
と言われています。

ということで

これからは日本が活躍し
世界を担う時代です。

ちなみに東洋文明で
大事にされるのは
物質よりも精神性です。 

文明の推移後に
経済資本主義が崩壊し始め
それに伴って精神的な歪みが社会問題になってきて 

お金の概念も信頼、信用によって
動くようになってきて
物質主義や勝った負けたの二元性の世界から

より精神の豊かさを
求め始めたのもこの流れらしいです。 
 

そもそも日本人は
勝敗や成否という
二元性の世界の評価だけでは
満足できないのです。 

だから
ゴールを決めた選手だけが評価される世界に
『他にもあるだろ』と
僕はしらけてしまうのです。 

これは日本人の持つ特有の感覚と
これからの世界の流れなのだと思います。 

前回のバロンドール受賞者が
クリスティアーノでも
リオネルでもなく
 

ルカだったのは
世界もそういう時代の流れを
薄々感じているということでしょうか。 

 

和、繋がりのなかで
より1人でも多くの幸せを祈る。

という生き方が僕は昔から
感覚的に好きなんですけど

これからの流行になることを
望みますね。 

日本人というのは
海に囲まれ自然の中で
生きてきたので

他人よりも秀でることや
個人がより多く誰かよりも勝つというよりは

周りも自分の一部と捉え
また宇宙や自然と目に見えないものとの繋がりを大事にし
人との繋がりを大事に生きてきました。 

日々八百万の神に
感謝し祈り生きてきた民族だったから
そういう感情を僕は
遺伝的に持っているのではないかと思うのです。 

とはいえ古い考え

”どれだけやったか”
”何をなしたか”

”できたかできなかったか”
”勝った負けた”
”金持ちか貧乏”

という二元性の世界で
評価されることに慣れているので
  

だから表向きはみんなのためにと言いつつ
 
『”自分が得るために”みんなのためにやる』

というのが本音に
なりがちです。 

その考え方に
かなり洗脳されてきましたが

もともと僕には
沖縄の血が流れているし

ないものを競争で
奪い合うのではなく

あるものを分け合うとか
あるものに感謝するから
それがもっと増えていくということ大事に 
したいですね。 

『自分はみんなと共に生きているんだから
みんなが幸せになるということは
自分も当然幸せに生きれるということ』

そう信じていれば

人には当然優しくできるし
人のためにすることは
当たり前のことになってきます。 

そしてだからこそ
その逆も当然で、

『自分が幸せになれば周りも幸せにできるのだから
自分の生活をどんどん良くしていこう』
という考えです。 

人のためだけでもなく
自分のためだけでなく

いいとこ取りで融合していく。 

どっちをやっても心が満たされ
豊かになっていく方法を新しく生み出す。 

僕に染み付いた

”ゴールが全て、勝利が全て”
”お金稼ぎ、成功が全て”

という

古い二元性の価値観・目標達成型思考+和の心の融合が

 

これからの
”蹴道士SHO SHIMOJI”のサッカーになりそうです。

今日も最後までみてくれて
ありがとうございました。 

 

 

SHO SHIMOJI

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