『全ては選んだストーリー〜Follow your heart〜』

ずっといろいろ考えてた。

去年から
いやサッカー選手を目指し
路地裏でボールを蹴っていた時から

 

そして
プロになってからも
南米に行っても
タイに行っても。

 

そして
あっちにぶつかり
こっちにぶつかり

30年間サッカーと走って来て

今少し時間が空いた。

 

僕の無意識が必要だと感じて
時間を作ったのかもしれない。

 

『少し考える時間だ』と
『どん詰まりのところまで来たんだ』と。。。

 

僕はこの4ヶ月。

 

サッカーの練習もそこそこに
家族とずっと一緒に過ごしてきた。

 

これまでの日常とは違う非日常の中で
サッカー選手としての充足感と引き換えに
幸福感を得ている。とも言えるかも。

 

こういうと自慢話か?と
リア充か?とムカつく人も
いると思うけど。

僕は充足感か幸福感かみたいな
ことをずっと頭の中で考えてきた。

 

僕は

 

充足感は
”誰かの役に立つことをしているとき”
感じられて

 

幸福感は
”特に何をしなくても何かを演じなくても自分はこのままでいいんだ
と思える時”感じられるものだと

勝手に思ってる。

 

 

どっちかというと
僕は幸福感を感じるのが苦手だ。

 

 

幸福感を感じるとすぐに
何かをしなきゃいけないと思って

 

何もしないことに焦りだして
何かをせずにはいられなくなる。

 

でも最近は
『焦りが出たら我慢して何もしない』
というのを実践中。

別に意味はないけど。。。

 

・・・

 

でも最近
僕の師匠の投稿を見て
”空っぽの自分”という言葉に
しっくりきた。

 

実は

 

充足感を得たいという気持ちも
幸福感を得たいという気持ちも

 

本当は空っぽの自分を
『周りの評価や承認で満たしたい』
『自分の確からしさみたいなもので埋めたい』

 

そいういう気持ちの
現れなんだと思った。

 

でも
そもそも空っぽなら

 

満たす必要も
自分らしさも必要ない。

 

だってそもそも空っぽなんだから。

 

”自分らしさ”なんて
見る人によって変わる。

 

誰かが僕のことを
”すごいサッカー選手”だとと思えば

 

その人にとっての僕は
”すごいサッカー選手”になり

 

誰かが”変な人”と思えば
その人にとっての僕は
ただの”変な人”になる。

 

それに
自分が”そう”だと思えば”そう”なる。

 

ちょっと心が楽になった。

 

僕は多分誰かの評価を得たいと思ってずっと生きて来た。

 

空っぽの自分を
”それらしく価値ある自分”で満たして安心してきた。

 

 

結果を得て夢を達成しても
それは変わらなかったし

 

何もしないで家族と過ごす毎日の中でも
そういう欲求は出てくる。

 

”千と千尋”に出てくる”カオナシ”みたいに。

ほしがりさん。

 

そして

 

多分これからも

他人の評価なんかどうでもいいと
思える自分がいる一方で

 

誰かの承認を受けると嬉しくなったり
喜んだりする自分っていうのも変わらないんだと思う。

 

でも、そういう自分は卑しいと思うか。

 

僕は最初
自分は卑しいと思っていたけど

 

結局どんなに頑張っても
聖人みたいには変わらないんだから

 

自分はそういう生き物なんだと
思うようになった。

 

 

そして

開き直って

じゃとことん
評価を得ようとする生き方も悪くないと
4年ぐらい前に思った。

 

FBやIGのいいね!取りは熾烈だ。と
問題視する人もいる。

 

そういう声を聞くとドキッとする。

 

それは
たくさんのいいねに元気をもらい
満たされる自分がいるから。

 

サッカーでも

 

周りの評価は関係ないと思いつつも
いい評価をされるとすぐ有頂天になる。

 

でも僕はそれでいいと思う。

 

なぜなら
その欲を突き詰めていけば
結局人のためになっちゃうから。

 

自分が目立ちたい
いいね!が欲しい

 

スタートはそれでいいんじゃないか。と。

 

でも本気でそれを取りに行くには
それ相応の覚悟が必要で

 

いいものや人を喜ばせるものを作る以外に
いいねはもらえない。

 

だから欲まみれの自分や
その自分の欲を
突き詰めていけば
人を幸せにもするし

 

人生の最高の道標にもなると
僕は思う。

 

 

僕は
小さい頃、注目を集めたかった。

 

そして
サッカーをして喜んでくれる両親や
周りの友達や大事な人たちがいた。

 

だから僕は
サッカーを始めた。

 

だからサッカーを続けてこれた。

 

途中で
充足感と
幸福感のどっちかが大事か
みたいなことで悩んだ。

 

結果を出し金を得たら
幸わせになれるんじゃないか。
問題が全てクリアになるんじゃないか

 

”金か夢か”みたいな話になった。

 

でも
気づいたのはどっちも別物。

 

別次元の話で、同じテーブルのうえでは語れないし

そもそも語る必要もないんだ。

 

充足感も
幸福感も
どっちでも欲しければ欲しいでいいんだ。

 

だってそれを正直に求めて
突き詰めていけば

 

そのうち
人の評価や
周りの期待を裏切って
とことん追求していく作業に入って

 

どんどん自分を知り
サッカーを知り
相手を知っていく。

 

そうすると
世界と一瞬繋がる感覚があって
すごいプレーがでる。

 

そういうプレーに人は
感動して
価値を感じて
お金を払う。

 

あれこれ考えずに

 

何かに没頭して
のめり込めば

 

充足感も
幸福感もどうでもよくなって

 

『金か夢か問題』はあっという間にクリアする。

 

でも
それと同時にどっちも叶う。

 

だから
『好きなことをやれ』ってことなんだとも思う。

 

思考や損得を超えて
小手先のテクニックが通用しない
リアルな自分で勝負する高尚なもの。

 

それが僕にとってのサッカーだ。

 

そう考えると
僕はやっぱりサッカーが好きだ。

 

というか自分の一部
分身。

 

4年前
そうやってサッカーを大事にするようになって
同時に自分を大事に思えるようになった。

 

それからは
毎年たくさんのオファーをもらえるようになった。

 

思うような結果も出るようになった。

 

人によって僕に対して
賛否両論はあるのは知っているけど。。

 

成功を続けてきて
違う道にも興味を持つようになった。

 

別に他の職業を
下に見ているわけではなく

 

なにをしてもやっていけるんだと
自然に思えるようになった。

 

中田英寿に憧れていたし
サッカー選手っていう枠で括られたくないって
ずっと勉強して来たのも影響していると思う。

 

何もなくなったタイミングで
僕は次に行くと思っていた。

 

さらに今回
たくさん届いたオファーを
断って来た。

 

それには
一つ理由があって。

 

選手としての挑戦とも言えるかもしれない。

 

今、選手は商品になった。
その選手がクラブにとってお金になるかという価値基準。

 

選手は一部の人の思惑で売り買いされる商品になった。

 

ある程度名前も売れた僕は
『選手はクラブを選べないという常識』を
超えれるんじゃないか。と思った。

 

それに僕は31だ。
31といえばそろそろ終わりだ。

 

選手としての最後に
プレーしたいチームがあった。

 

別にわがままな

交渉をしたわけではないけど

 

結局いろいろあって

最後の最後で

 

契約には至らなくて
思うような最後にはならなかった。

 

そのチームでプレーできるなら
安くてもいいと思っていたし

 

ここで終われたら
本望だとも思っていた。

 

もし契約に至らなくて
チームがなくなることも
もちろん覚悟はしていた。

 

もちろんプロである以上
チームはどこでもいい。

 

それは今でも変わらない。

 

だけど一周回って

 

”選手はチームを選べないという常識”へ挑戦してみた。

 

でもダメだった。

 

なまじちょっとした成功を
手にしてしまったが故の
思い上ががりだったんじゃない?と思う人もいると思う。

 

年俸は下がって来たとはいえ
他にあったオファーを蹴って
今チームがなく選手をしていない僕は
バカだったのかもしれない。

 

2人の娘の父親として
仕事がないことは
あるまじきことかもしれないし

 

世間をバカにしていると
取られてもしょうがない。

 

よく考えればわかることなのかもしれないけど

 

一周回って出た答えは

 

思いつきではないし
後悔もない。
(いや、ちょっとあるか。笑)

 

でもそれも自分だと思っている。
(別に正当化もしていないよ。笑)

 

悩みに悩んで
考えて考え抜いた後に

 

最後に心の声に従ったのならそれは正しい

僕はいつも思っている。

 

「悩んだ末に出た答えなら
15点だとしても正しい。」

と。

・・・

 

結果、とりあえず
またゼロに戻りました。

 

いくつかのオファーにお断りを入れた31歳は
半年間プレーをしないので
市場価格も下がるでしょう。

 

オファーがるかもわかりません。

 

また失敗しちゃいましたが
失敗に慣れることが
一番の近道だというのをわかっているので

 

かっこつけの自分も
ダサい自分も受け入れて

 

『あるがまま思うがまま。
全ては選んだストーリー』という感じで

 

生きていきます。

 

そして

 

僕はまたサッカーをやります。

 

もちろん
僕がまだ必要とされるのであれば。

 

心の奥の声に耳を傾けながら
ボールを蹴っていきます。

 

とりあえず
選手としての今後については
6月の移籍マーケットの結果が出た時に
改めてお伝えします。

 

ということで
今日は長い話とご報告でした。

 

最後までありがとうございました。

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