第一次ブラジルサッカー放浪記 

久しぶりの更新です。

いつも応援してくれてありがとうございます。更新しなくてすみません。

ブラジルでのこれまでの様子を大まかに書いてみました。

 

 

この4,5ヶ月僕はサンパウロのリンスという町にいた。

7月、umuarama の練習に参加した後にテストを受けにきたclube atletico linense(アトレチコ・リネンセ)というチームへの移籍が決まった。

このリンスという町は昔、日本からブラジルに渡った開拓移民の方々が一番最初に入植した土地でたくさんの日本人や日系人がいて日本の浜松や群馬のようなところだった。

 ちょうどそのころ日本から妻と4ヶ月の娘がブラジルに来てくれた。そして付き添い&僕たち夫婦を助けるために義姉も一緒に3人でブラジルまで来てくれて、4人での生活が始まった。

家族。本当にありがたい。一人じゃない。帰る家があるってすごいことだなって思った。いろいろあったけど楽しい家族の生活が始まった。

 

8月、クラブ契約をするための労働ビザの申請の書類作成や手続きに時間がかかり大会登録期間に間に合わず試合に出ることが出来なくなった。

クラブとの契約もなくなった。

期間が切れてしまったのでサンパウロ州内では他のチームに行くこともできなくなった。

クラブ側と話をし、大会が終わるまでの4か月間は練習に参加することになった。

2か月間一緒に生活をし、助けてくれていた義姉が帰国。

家族3人の生活が始まった。

 

9月、けがをして1か月間リハビリ。

そのあいだに仲良くなったファビオにポルトガル語を習い上達した。

彼の教えてくれる言葉は仲間内のみの、あまり良くはないものばかりだったけど楽しいやつだった。

彼にも子供がいて決してこどもには教えない言葉ばかり教えてくるからチームメイトのジョズエとブルーノにはあんまり近づくなとよく冗談を言われた。

ジョズエは鳥栖でも一緒にプレーしたあのジョズエ。チームに紹介してくれてリネンセに入るチャンスを作ってくれたのも彼だった。

ブラジルに来てから何もかもお世話になってる。

彼のやさしさやその人間性にはとても尊敬している。

とにかくいろいろなことがあっても助けてくれる彼がいなかったら僕たち家族は生活していけなかった。

そしてもう一人。

ブルーノ。

かれは日本でセレッソ大阪、コンサドーレ札幌、FC東京でプレーしていた。

ブラジルに来て初めて出会ったけど、彼もまた自分の家族のように僕たちを助けてくれた。

本当にありがとう。そしてそのような出会いをくれたことに感謝。

 

10月、練習に復帰。

大会も終盤。チームは好調をキープ。1次2次リーグを突破して決勝トーナメントへ。

自分は来季の契約につなげるためにアピールを続けた。

 

11月、大会終了と同時にチームは解散。

来年1月から始まる大会に向けてチームは新しく編成されるため、ほとんどの選手がチームを去った。残ったのは30人中4、5人。

ぼくもこのチームを去ることになった。

 

今までのサッカー人生で1試合もしなかったのは初めてだった。

すごく貴重な経験になったと言えるようにやっていくしかない。

そして次のチーム探しが始まった。どうなることかと思っていた矢先。

いきなり他のチームから誘いがあった。

このチーム探しも、ブルーノとジョズエのおかげだった。

新天地はサンパウロ州の隣。マット・グロッソ・ド・スル州。

 

今年もたくさんの方々のおかげで生きてこれました。サッカーできました。これは本当に感じました。自分の力のなさも十分に感じました。一人では何もできないんだと。

家族。友達。応援してくれるみんな。その人たちの力をかりてやってこれました。

来年さらに飛躍して、たくさんの人たちと喜びをわかちあえる年になるよう願っています。

ありがとうございました!!

 

そして今僕たちは労働ビザを受け取るために一時帰国中。

久しぶりの日本。さいこー!!

ブラジルに再び出発するまで日本での時間を満喫しています。

 

 

これからも応援よろしくおねがいします。

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